「創造の写真劇」- 日本語版 11 エデンからの追放 | 日本におけるJWの歴史を考察するサイト

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エデンからの追放

 

 

 永遠の命を約束する言葉であっても、あるいは死の宣告であっても、神の言葉はその通りにならなければならない。神は移り変わる影のように変化したりすることはない。主によって予告されていたのろい、または死の宣告は実行されたが、即座にではなかった。アダムは雷に打たれてその場で命を失ったわけではなかった。神は、初めからすべてを予知しておられて、アダムとエバ、そしてその子供たちを買い戻すように計画された。そして、イエスが来られて、「義なる方が不義の者たちのために死なれた」のである。その結果、死という呪いは最終的に取り除かれるのである。もはや死も、嘆きも叫びも、苦痛もないのである。-啓示22:3, 21:4,5

 私たちは皆、父アダムの不従順の罰は永遠の責め苦であると聞かされて来た。そして、私たちのうちの多くが、そのことを完全に信じている。聖人や教会を除くアダムの子孫は、すべてその責め苦にあずかるものとなる。私たちは、これが聖書の教えであると聞かされて、証拠もなくそれを受け入れてきた。-テサロニケ第一5:21

 今、クリスチャンの人々は聖書をさらに注意深く調べて来た。彼らは、呪い、あるいは罪に対しての刑罰とは、まったく違うものであるということに、気づいたのである。「罪の報いは死である」。(ローマ6:23) 「罪を犯している魂、それが死ぬのである」。この死という刑罰はアダムとその子孫の近くに、6,000年の間ずっととどまって来た。そして、悲しみやうめき、苦痛や問題を引き起こしてきた。それは、私たちの生活に、精神的、道徳的、また肉体的に暗い影を落として来たのである。

 創世記の記述、そして新約聖書によると、これが父アダムに宣告された死の呪いである。「地面はあなたのゆえにのろわれた。あなたは,命の日のかぎり,その産物を苦痛のうちに食べるであろう。そして,それはいばらとあざみをあなたのために生えさせ,あなたは野の草木を食べなければならない。あなたは顔に汗してパンを食べ,ついには地面に帰る。あなたはそこから取られたからである。あなたは塵だから塵に帰る」。 義なる方イエスが、私たち不義な者たちを、死をもってのろいから受け戻して下さったのである。死からの復活によって、メシアはすべての人たちを、死という呪いから救出して下さった。「死がひとりの人を通して来たので,死人の復活もまたひとりの人を通して来るのである」。-コリント第一15:21






ダンテの描いた地獄 氷


伝統的な教義によるアダムとエバの現在

 

 

 

サタンのとてつもないウソ

 

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この章を見ると、現在、特に大きく教義が変わったという部分はないように思います。神はすべてを予知して物事を計画しておられたとありますが、そうすると、アダムはどうやっても罪を犯すしかなかったわけで、かわいそうな気がしますね。どんな歩みをするかすでに神が知っていたのだとしたら、彼の人生にはどんな意味があったのだろうかと考えさせられます。