日本におけるJWの歴史を考察するサイト

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「悪の始まり」

 

「かつて啓発を受けながら、その後全能の神に反対する者は邪悪である」という言葉でこの部分は始まります。エホバだけが創造主、全能者、最高の方であることがいくつもの聖句を用いて説明されています。人は、しばしば人間たちに言及する言葉として"This is a human being"という言葉を用います。これは一般的には人類と訳される言葉ですが、エホバだけがただ一人の "Being"、つまり存在そのものであると述べています。イエスは強大な方ではありますが、全能の神はそれ以上に強力で偉大です。イエスは神のことを父と呼んでいます。
 

興味深いことに、ラザフォードは、ここで「イエスは力ある者であり、そのために神です。また、霊の他の力ある者たちも神と呼ばれています」と書きました。 他の宗教の神々ではなく、天使たちの中でも力ある者たちは、神と呼ばれていたようです。英文では"Christ Jesus is a mighty one and therefore a god" とはっきりと述べています。しかし、この神は ”a god” なので、神々の一人に過ぎず、唯一無二の神 ”God” ではありません。これは、かつて研究用の書籍で用いられていた「永遠に生きる」の本でも取り上げられていました。新世界訳聖書というJWが発行した聖書が、英語でそういう使い分けをしているに過ぎないのに、絶対的な根拠になるのだろうかと不思議に感じていたものです。


話はもう一人の強力な霊の被造物に焦点が当てられていきます。昔の霊者の中に、ルシファーという名前の力強い存在、すなわち神がいました。ルシファーという名前は「輝くもの、また明るい星」を意味します。ルシファーは地球上の創造物を監督する任務を与えられていましたが、進んで、そして意図的に全能の神に反逆しました。そして彼には四つの名前が与えられることになります。全能の神に反対する者という意味のサタン、欺くものという意味の蛇、中傷する者を意味する悪魔(デビル)、食らい尽くす者を意味する龍(ドラゴン)です。

神が地球を作った時、霊者の間に大きな喜びがありました。ヨブ38:7にあるように「明けの星が共に喜びの叫び声を上げ,神の子たちが皆,称賛の叫び声を上げ始めた」のです。 ルシファーはそこにいて、彼の数多くの創造物によって全能の神に与えられた大きな賞賛を目撃しました。その結果、ルシファーは、最高の者に与えられた賞賛を自分も受けたいと思うようになったのです。

こうして、ルシファーは神に反対し、人間を罠にかけることにしました。ルシファーはエバに近づき、食べてはならないと神から言われていた果実を巧妙な欺きによって食べるように仕向けたのです。そしてアダムもその果実を食べ、二人は全能の神の法を破って罪を犯しました。これが邪悪の始まりであり、宗教の始まりでもありました。

ラザフォードはこう書きます。「これが宗教の始まりだったと言うと、一部の人々には奇妙に聞こえるかもしれませんが、それは真実です。正確に定義すると、「宗教」とは、全能なる神の意志に反することを行うことを意味します。エバが神の命令に反する歩みをするように誘導したのは、ルシファーによる彼女への欺きであり、彼女は、至高者から与えられなかったものを欲したので、ルシファーに屈したのです。ルシファーと他の多くの天使たちは悪となり、人々が宗教を実践するように導きました。邪悪な者たちの行ないに従うことは罠であり、そのためエホバ神は、イスラエル人が悪霊の影響を受けているカナン人の宗教を取り入れ、実践することは、彼らにとって罠となるので、彼らが宗教から自由でなければならないと言われたのです」。

 

ラザフォードは、1930年代後半から「宗教はすべて偽りで、わなである」という考えを持っていました。すべての「宗教」は悪魔に発する非クリスチャン的なものだ繰り返し出版物で述べていましたが、1936年、街頭でそのスローガンを宣伝し始めました。「ふれ告げる」の本にこのように書いてあります。

1936年,スコットランドのグラスゴーを皮切りに,ポスターを身に着けて商店街でビラを配るという方法で大会の講演を宣伝するようになりました。2年後の1938年,英国のロンドンで開かれた大会に関連して,別の目立った特色が付け加えられました。後に共に統治体で奉仕したネイサン・H・ノアとアルバート・D・シュローダーが先頭に立って,1,000人近い証人たちがロンドン中心部のビジネス地区を行進したのです。行進した人たちは一人おきに,J・F・ラザフォードがロイヤル・アルバート・ホールで行なう「事実を見よ」という公開講演を宣伝するポスターを1枚身に着けていました。行列に参加した人たちは,「宗教はわなであり,まやかしである」と書かれたプラカードを掲げていました。(当時,宗教とは神の言葉聖書に調和しないすべての崇拝のことであると理解されていました。)その後,同じ週のうちに,一般の人々の一部に見られた敵対的な反応を和らげるため,先のプラカードに加えて,「神と王なるキリストに仕えなさい」と書かれたプラカードを掲げるようになりました。この活動はエホバの証人の多くにとって容易なものではありませんでした。しかし,彼らはそれをエホバに仕える別の方法,エホバに対する忠節の別の試みとみなしました。(昔のプラカード行進や現在のカート奉仕といい、こういう奇妙で目を引く宣伝行為をしたがるのは、悲しくもJWの伝統と言えるかもしれません)



この「子供たち」の本の中にも、その考えが強く反映されており、後にジョンは宗教を避けて離れるつもりだと言います。


ルシファーはかつては非常に美しく、強大な存在でした。エゼキエルのある預言は古代都市「ティルス」に向けられたものですが、同時にサタンとなったルシファー向けて述べられました。「あなたは神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石があなたの覆いであった。……あなたは覆うことをする油そそがれたケルブであり,……創造された日からあなたのうちに不義が見いだされるまでは,あなたはその道においてとがのない者であった。あなたの満ちあふれる商品のゆえに,人々はあなたの中に暴虐を満たし,あなたは罪を犯すようになった。それで,覆うことをするケルブよ,わたしはあなたを……滅ぼすであろう。あなたの心はあなたの美しさのゆえにごう慢になった。あなたはその輝かしい光輝のゆえに自分の知恵を滅びに陥れた」。(エゼキエル 28:13-17)

アダムとエバは神への不従順さによって死を宣告されました。しかし、その死の判決はすぐに実行されませんでした。悪魔はそれを見て、神は彼らを死なせることが出来ないと考えました。「神がアダムを死なせるなら、自分の創造物が完璧でないことを認めることになります。また彼を死なせないなら、エホバの言葉は信頼できないことを意味します」。神が地上に信頼できる忠実なものを置くことが出来ないために、すべての創造物は、神を全能ではなく、全知ではなく、公正ではないとみなすでしょう。そして、そのことを暴露したサタンに対して栄光と名誉を与えると考えたのです。

そして、サタンは神に対して「神に忠実で、全き心を持って仕える人間はは地上にいない」と公に挑戦しました。それに対して神はサタンの挑戦を受け入れ、彼にその挑戦を証明する機会を与えました。サタンが神と人類に反対するためにすべてのことをする許可を与えたのです。そして、適切な時に、サタンが嘘つきあり、エホバこそが至高者であることを、すべての創造物が納得する仕方で証明されます。神は、サタンが自分自身の益のために邪悪な業を続けることを認めたのではありません。むしろ、全創造物が自分で善悪を選び、神に対する忠誠を証明する機会を与えられたのです。忠誠を証明する人々は永遠の命を報酬として受け取り、悪魔に従う者たちは永遠の滅びを受けるでしょう。こうして、神は、全能の神に喜んで服する者だけが永遠の命を持つことが出来るというルールを確立しました。

次は、「受け継いだ死」という副見出しを見ていきます。