共産主義的には、宗教はアヘンだ、という捉え方があるそうで

 

宗教は魂の奴隷、宗教は精神の奴隷

なんていう言葉もよく聞いていました

 

宗教の布教活動をする人たちのことも内心見下していたし、かわいそうにと思っていたのです

 

まさに昔の人が残した故事

 

障子の破れ目から隣の障子の破れ目を笑う

のど真ん中を行っていました笑

 

精神世界という名前の本棚に並ぶ領域そのほとんどがニューエイジ思想に端を発したものとのことで、

(発信者は違うけど、みな同じ元ネタをそれぞれ別な人から、別なタイミングで、別な方法で学んで

日本に持ち帰ってきている)

ニューエイジ関連で調査していると、キリスト教信者たちが、ニューエイジの危険性について警鐘している動画や

ニューエイジに浸った信者が、いかにしてキリスト教に戻ったかの実体験について

New Age to Jesus というタイトルで大量に見つかりました

 

わたしはクリスチャンとして育ったわけではないし、勧誘をたくさん受けたことはあるものの全く詳しくないし

今の状況で、何か空虚感のようなものから他の何かに依存することになりそうなので、”何かを信じる”ということからは

とにかくなるべく離れておこうと思います。

 

そこで、宗教を内心、かわいそうにと思いながら

自分がそのどっちの派閥であろうと、どっぷりと宗教に浸かっていたことが判ります

 

ただし、ニューエイジの世界では、これは宗教ではない、宗教は良くないと、解く人が多いですし、

快楽的なことしか解かず、キリスト教のように

厳しいNGが一切なく、「努力する頑張ることは禁止、それ以外の心地よいことは、すべてOK」教なので、

自分がまさか宗教の1つに極めて熱心に人生をかけて18年間はまっていることに気づきませんでした

 

何か、”地球をよくしようとしている”人のあつまりのように見えて、そうか地球がどんどん良くなっていって

目に見えない世界を怪しいと思っていた人たちがみんなそれが本当だとより多くの人が気づき始めているんだ!

と思っていました笑

 

そしてニューエイジに浸った信者が、いかにしてキリスト教に戻ったかの実体験をいくつか聞きながら

今までの自分の盲信していた内容を、改めて客観的に振り返っていると

ニューエイジ思想を盲信していた女性たちに、ほとんど必ずと言っていいほど下記の共通点がありました

 

・成人前に両親が離婚して、心に傷を負っている

・家族の誰かを亡くし、その人と話したいと過度に依存したことがきっかけになっている

・成人前に性的被害、性的トラウマを受けている

・摂食障害を起こしている

 

そこで、昔から、なぜ俳優、男優女優に、離婚など家庭環境が複雑だった人が多いかを昔から考えていました。

そして、アメリカで演技のワークショップに参加したり、ドラマのエキストラに参加しながら

気づいたことがあります

(当たり前ですが離婚を否定したりする話ではありません)

 

それは幼少期の離婚によって、人格になんらかの歪みが生じる人たちの一定数の中で、演じたいという欲求が生じる

そして、演技のワークショップは、たいていが、「どういうリアクション、どういう感情表現が自然か」をひたすら練習します

そこで何か人格に歪みが生じている人は、怒るシーンで自然に怒れないという現象が起こります

わたしがそうでした、ニコニコニコ感情をなるべく抑えて愛想笑いをして生きてきていたので

怒るシーンなのに(怒らないのが大人として立派だ)という歪んだクセがあったので、ニコニコしているわけです笑

そして先生が、君、そこはキャラクターは怒っていると思わないかい?とアドバイスします笑

 

それから、実際にシーンを演じる以外にもいろいろな準備運動のようなものがあったのですがその1つに

教室の中を、みんなでバラバラに歩いて、ぶつからないようにするというものがありました

そこで、わたしは常に何か怒りを抱えていたので、なぜ私がどけなければいけないんだ、お前がよけろという

発想が出ていたことに気づきました

本来、人はこうやってよけあいながら歩くんだよと練習するわけです笑

 

そこで、役者など、演じる仕事を志す人は、無意識に、自分の歪みが生じた人格を、演じることを練習することで矯正しているんじゃないかなと思いました。これは国籍を問わずです。そして、その中でも、愛情たっぷりに正常な成長を遂げその無意識の欲求からではなく、ただ、演技が楽しくて好き、という人は、人格に歪みも少ないので、自然な演技を前者の人たちよりもはるかに上手に出来る、そうすると早くキャリアを築けるということが世界中で起きているのでは、と思いました。

 

その証拠に、エキストラに集まる役者志望の人は、大多数の人は愛情が基本的に枯渇しているので、そのシーンでエキストラとしての役割を果たそうという意識というより、有名になりたい!!とすがっている状況の人(〇〇さんはこうやって成功したらしい、とか、有名な〇〇さんが見える!!と盛り上がるなど)が圧倒的に多かったのです。

主人公が人格障害だという設定の映画は別として、たいていの場合が経済的にどうであろうと、心理的に正常な人が主人公、登場人物で、その人たちが、笑ったり、怒ったり、喧嘩したり、仲直りしたり、甘えたり、叱ったり、ということを繰り広げるので、

その役を演じようとして、演技を練習するということは

正常な心理状態の人は、ここでこんな発言をする、こんな反応をする、こんな行動をとる、ということを本人たちは気づかずして

練習しているんだと思いました。

 

(あくまで個人的な仮説です)

 

 

話が飛躍しましたが

宗教を否定はもちろんしないが自分には必要ないと言いながら

実は、教会を持たない、聖書を持たない、洗礼もない、アンチキリスト教という宗教にしっかりと人生をかけて入信していたことに気づきましたが、気づくまでに18年かかるとは思いませんでした笑

 

15歳から33歳、さあ、これからどんな風に生きていこうか、と呆然としたりしますが、

引き続き、きちんと情報収集しながら、何事にも依存しないように気をつけながら、自分の中に甘ーい声や闇が巣くってしまわないように、日当たり良く笑 過ごしていきたいと思います

ひゃ~~