今、床掃除をしていてふと、

自分の何かを信じられるとき、それがその通りになったり、やっぱり信じてよかったんだ

と思うとき、それが私にとっては、すごく幸せなんだと、ただ分かるという感覚になりました

 

小さいころからいつも、何かの出来事がきっかけだったりしながら

表現が浮かんでくるという不思議な感覚に包まれることがあります

 

小さいころ、スズメバチが部屋に迷い込んでしまい

それをきっかけにお部屋を大掃除したことがありました

その時も同じような感覚で、

そうか、一見、スズメバチが部屋にいたのは怖くていやな出来事だったけど

そのおかげでお部屋掃除ができたんだ、と気づくと

 

すべてのことは意味があって起きている

 

という表現が浮かびました

 

それを母に言いましたが、まったく理解を得られず、考えすぎないことが大事だよと諭されました笑

 

ですが、海外を旅したときに、Everything happens for reasons. 全てのことは理由があって起きている という言葉を

僕は信じているんだ、という男の子に出会い

あれ、おんなじこと言っていると、ピンときたおぼえがあります。

 

それと同じような感じでした。

だから、私にとって苦しいときというのは、自分の感覚、自分のこうかも、を信じられない時だと、分かりました。

 

先日、そこまで仲良しな方ではない知り合いの方と長電話になったときに

相手の方が、たばこを吸い始める音が聞こえたので、

じゃ、タバコの銘柄、透視しますね、3回以内で当てますよ

と遊び心で言ってみました笑

 

1回目は、赤のラークと言いましたが、はずれ、

次にいろいろ銘柄を考えたあげく、頭の中に浮かんだのが、水色のメビウスだったので

それを伝えると、あたり!と。

だいたい銘柄の数なんて限りがあるんだしメビウスは人気だからそんなもんでしょう、と相手の方は言っていましたが笑

 

その時の幸せ感がすごかったのです笑 子どものころの感覚にも似たものでした。

 

そしてさっきの掃除の間、ふと頭に流れ込んできたのは

自分の中のこれかも、を信じられる行為が自分は楽しい、だから勉強やテスト、暗記が楽しかったということでした

たしかに暗記しかり、記述問題しかり、制限時間の中で、自分の中に全集中する、

頼れるのは(カンニングをしない限り笑)自分の頭の中の記憶と、感覚、思考だけ。

 

しかも、記憶といっても、もっとブレイクダウンすると、

たとえば、1929年は世界恐慌。と暗記する。それを、憶えられる、と自分を信じる。

そして、テスト本番に、世界恐慌は何年だったかな、、たしか1929年のような、、その目に見えない感覚を信じる、

そうだ、きっと世界恐慌は1929年だ、自分はそう記憶した、そう記憶した自分を信じよう、と

答案用紙に記入するわけです。

問題を解いている間、自分の中に問いかける、答えが出てくる、その答えを出した自分を信じて答案用紙に書き出す、

 

そして、答案用紙が返却されると、こんなに自分を信じた結果がこの点数になったと、そのことに自分は喜んで楽しんでいたんだと。それが、中学校終わりあたりから、10番以内に入れば合格も安心、と、楽しかった勉強が別なものになってしまい始めました。他人と比べることが激化してしまったのです。

自分が勉強を楽しんでいたのは、お母さんが喜んでくれるから?と思っていたのですが

どうやらそうではなく、自分を信じる繰り返しを夢中でして楽しんで、ある意味瞑想状態であったようにも思いました。

だから学ぶことが好きで知的好奇心が高いと勘違いしていましたが、そうではなく

 

勉強して暗記して問題を解くという行為の根本にある

自分を信じること に喜びとか楽しさを感じていたんだとわかり、すごくすっきりしました

 

自分を信じるって、ついついドラマチックに表現されがちですが

わたしの中での信じるは、こんな風にもっと小さな日常的な積み重ねなんだと分かりました

 

アニマルコミュニケーション練習開始時には、自分にはできる気もするし、できなかったらどうしよう高額な月謝払ったのに笑

と、子どものころみたいに純粋な気持ちで信じることができていなかったのですが

 

先生が、「どうして動物たちが一生懸命あなたに回答しているのに、その声を信じてあげられないんですか?」と

言ってくれたことが大きな力になり笑

人間も信じないし、自分も信じられないけど、この無垢な動物たちのことは信じられるぞ、

となって、練習が進んでいったのです。笑

そして、答え合わせを繰り返すうちに、すごく嬉しくなっていったのは、自分が受け取ったものを信じられることが

嬉しくてたまらなかったからだったのだと。

自分を信じて、という状況じゃ自分を信じられない状況でしたが笑

どうぶつたちが人質?笑 のようになって、信じる練習をさせてくれて

いつの間にか、自分の感覚を信じることにつながっていました。

 

たしかに人生うまくいかなくなってからは、自分のことが信じられなくなっていたし、勉強の目的がいつの間にか

いい大学に入るため、いい順位をとるためになっていて

自分の感覚、内観なんかも出来ず、常に外側におびえて

本屋さんで本を読み漁ったり、自分以外の誰かが答えをもたらしてくれる、という想いが強くなっていました、、

 

コツコツ自分の中で答えを探して

そしてそれがはずれでも、また復習して次のテストに向けてひたむきに頑張れるように