私の大学受験時、第一志望は文学部フランス文学科🇫🇷


当時、何きっかけだったか、フランソワーズ・サガン「悲しみにこんにちは」を読んでハマった私…


結局、第一志望には入れず別学部への進学になったけれど、入学後もプルースト「失われた時を求めて」を読んだり、単館上映している映画館でトリュフォーやゴダールといった古いフランス映画を観ては分かったような顔をしていたのでしたてへぺろ



そんな時期もあった私が、あの有名なアラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」をなぜ見ていないのか??それは単純に原作を知らなかった知識不足が原因笑い泣き

さらにはあの超美男子が主演して、こんな題名ならきっと南仏リゾート舞台での恋愛ストーリーだろうな、まあ見なくて良いかな.などと勘違いしたことが原因だったのですタラー



「リプリー」はマット・デイモンとジュード・ロウ共演に惹かれて何気なく見始めたのだけど、これが「太陽がいっぱい」と同じ原作と知ってびっくり。なんと、イケメンアラン・ドロンは殺人犯の役どころだったのか!



アラン・ドロンの演じた主人公トムと、マット・デイモン演じる主人公(同じくトム)は同じ犯罪を犯してしまうけれど、人物像はだいぶ違うように描かれているようです。共通しているのは、お金の心配など無縁で明るく生きている大富豪のボンボンと、生きるために日銭を稼ぐ事に苦心している貧しい青年、その人生の対比。



マット・デイモンのトムは、富豪の息子ディッキーと親しくなるべく、彼の趣味に合わせてジャズを必死に勉強したり努力する。

セレブな生活を送るうちに、少しは垢抜けてくるけるど、やはり努力だけではどうにもならない、育ちの違いからくる生活スタイルやセンスの違い。一朝一夕には変身出来ない明らかな格差が垣間見えて、切ないもやもや


途中から、単なる憧れの気持ちだけではなく、ディッキーのこと好きになっちゃったのか、、という展開になるんだけど、そんな恋する相手からお前はつまんない男だ!とか、キモい、とか言われて、なんとも可哀想なトム。だからって、命を奪うなんて許されないけれど。



この映画が元となって、リプリー症候群、と呼ばれるパーソナリティ障害があるとの事…

・自分がついた嘘を本物と信じ込み、現実と虚構の区別ができなくなる

・人から注目されたいために嘘をつきとおす



物語中、トムが各所でつく自分の嘘を信じ込んでいるようには見えなかったけれど、身分詐称して優雅な生活を送るうちに、自分は本当に名門大学出身でディッキーの友だち(あるいは恋人)として相応しい人間なのだと信じ込んでしまったのかなとも思えます。



ディッキーがトムに手をかけられて行方不明となり

探しにきた友人フレディが言う言葉が印象的。

部屋をぐるっと見回して、そのインテリアを軽蔑する…悪趣味になったな、って。

そうなんだよね、やっぱり洗練されてない、トム。



とても印象深い映画で、見終わった後もものすごくいろんな事を考えてしまいました。

それにしても、イタリアの明るく降り注ぐ日差しのもと、キラキラした笑顔のジュードロウは、アランドロンにも負けず劣らず美男子で素敵でした。



ちなみに、原作者はパトリシア・ハイスミス、アメリカ人作家で、フランス文学ではないようです本

トム・リプリーは小説がシリーズ化して5作あるようなので今度読んでみようっと。