● 悔恨

 

 今回は自分の中の泥を吐き出すためのかなりブラックな内容になります。

 

 テーマとしては一応「物事に真剣に取り組むとはどういうことか」、「厳しい声をかけられるうちが花」という話になります。

 

 先日、私が所属する空手の昇級審査がありました。

 

 私はまだ中級なので型を披露するだけでしたが、緊張するものがありました。

 

 自分の緊張はさておき、一応自分が型を見せた時には一言「良く稽古している」というお言葉をいただけました。

 

 ただ、型は先輩と一緒に披露したので「先輩に対して言ったのか」「先輩と私に言ったのか」が分からないのが後の話で大きく私の心を乱すことになります。

 

 私と先輩の番ではそういった言葉をかけていただきましたが、全体の総括での師範の言葉は非常に残念なものでした。

 

 「見ていて嫌になった」

 

 もっとオブラートに包まれていたし、フォローも入りましたが、これが本音だろうなというのがひしひしと伝わってきました。

 

 正直私の目から見ても「本当にこの人たちは自分より上の級を受けているのだろうか」という人しかいませんでした。

 

 私ですらそう感じるのなら師範の思いはどれほどでしょう。

 

 「見ていて嫌になる」という言葉を師範に言わせてしまったということが本当に辛かったです。

 

 

 そして、この時私は他のどす黒い感情にも襲われました。

 

 「他の人たちは師範にこんな事を言わせて恥ずかしくないのか、それすらわかっていないのではないか」という周囲へ偏見。

 

 「このまま自分が所属する支部全体が見捨てられるのではないか」という恐怖と自分だけはそこから抜け出せないかという保身的な思考。

 

 そして「まだ自分はマシな方」という侮蔑的な安心感です。

 

 これらの思考は非常に危険な思考で個人レベルでも組織としても毒になり得ます。

 

 この思考の危険性についてはまた個別に記事にします。

 

 いずれにしても、先述の「良く稽古している」に自分が入っているかどうか不明なところがかなり心を乱した感じがあります。

 

 審査が終わった後、師範からは「型は攻防を想定して行うように」と言われ、デモンストレーションをしてもらいながら、我々も師範の動きに合わせて型をするとそれだけでもかなり動きが良くなりました。

 

 …本当はこんな事初級のうちに直さないといけない事だと思います…

 

 師範は「形だけなぞろうとしている人」と「力だけ出そうとしている人」が居ると仰っていましたが、これは確かにあるなという感覚とともに、それぞれ問題の根が違うという風にも思いました。

 

 「形だけなぞろうとしている」という人、これは他の格闘技経験が無い人を指しているように思えました。

 

 私自身も格闘技経験が無いのでそちら側の気持ちが分かるのですが、そちら側の人は単純に「攻防のイメージが出来ない」のがネックになっています。

 

 こればっかりは実際に誰かと相対してみるとか、経験を積まないときついものがあります。

 

 もう一方、「力だけ出そうとしている」は他に格闘経験がある人を指しているようで、これはこれで根が深い話だなとも思います。

 

 私が所属する空手は「手から動く」という事を説いていますが、それが出来ている人がまあいない。

 

 今までのやり方で感じる強い力に引っ張られて教わった事が出来ないのです。

 

 私はどちらかというと前者の形だけなぞろうとしてしまうほうに近いので、手から動くを実践できていない人というか、自分がうまく出来ていない事を気づけていない感性が分からないところがありますが、逆に言うと実践を意識して打つという事へのイメージを明確に持つための道のりも遠いなと思ってしいます。

 

 

 ただ、どちらにせよ今、私の所属する支部全体で見た時に覚悟も思いも技術も足りていないという大きな事実があります。

 

 正直、私は何でこんな事になってしまったのかが分からないです。

 

 中には、SNSで稽古風景の写真をかなりの頻度で上げている人も居ました。

 

 私たちの所属する空手の今後の在り方を熱く語る人も居ました。

 

 気持ちが無い人達の集団ではないはずです。

 

 真剣に取り組むという事は何なのかをとても考えさせられました。

 

 私個人としては、元来性格がネガティブな事もあって、「今自分はちゃんと出来ているのか?」という疑問が常に涌いてくるので修正は常に繰り返しています。

 

 その視点からすると、今回の審査での上級の方々の型は「何故そこに注意を払わないんだ?」と思ってしまいます。

 

 しかし、私自身もまだ組手系の稽古だと上手く行かないことが多くあります。

 

 結局はその人にはその人が注意しているポイントがあった上で足りない部分が見えてしまうという事なのでしょう。

 

 ただ、それが言い訳にならないこともあるのも事実です。

 

 自分自身に与えられた帯の色に果たして自分の能力は見合っているのか常に考えながらやっていくしかありません。

 

 その観点で言えば、私たちはまだ帯に見合った真剣さを持っているとは言えないのでしょう。

 

 ちなみに前述の私と一緒に型をした先輩は元々は別の地方の支部の方で、私が所属する支部に関しては常々苦言を呈していました。

 

 それを考えると本当に私の評価次第で全部ダメか首の皮一枚つながっているか、かなり大きな境目に立っているとも言えます。

 

 前述の型のアドバイスを入れた後、師範は全員の昇級を認めました。

 

 それはそれで恐ろしいことだと思います。

 

 空手に限った話ではないですが、指導者が「これ以上の向上は見込めないな」と判断したときにすることは”お客様扱い”です。

 

 適当にニコニコしながら褒めてその場をやり過ごすというのが割と普通な事なのです。

 

 私は空手より先にオーケストラにおけるプロからの指導でよくこれを体験していました。

 

 オーケストラの場合、指揮者や各パートのトレーナーが団員の能力を見限ると表現の追求ではなく「事故が起きないようにどう処理するか」になります。

 

 それで満足するか否かは本当に人それぞれですが、私はその状態になった時に強い敗北感に襲われます。

 

 オーケストラは一回一回の本番に関しては期限が切られているのでそれも仕方のないことではあります。

 

 しかし、空手は一生ものです。

 

 これからの長い年月を見限られてしまうのは辛すぎます。

 

 今、本当に土俵際のギリギリですが、しっかりやっていかないといけないなと感じる審査でした。

 

 精進します。