● 達人とは

 

 今回はだいぶシンプルな話ですが、「達人はどうやって形作られるのか」というお話をします。

 

 結論から言うと達人は「膨大な”何か”の積み重ね」によって形成されます。

 

 この”何か”の中にはその分野の基礎が入ることが多いですが、割と枝葉の部分でも極めると凄いことになっている人は居ます。

 

 基礎の例で言えば例えば私が日々稽古している空手で言えば「立ち方」になります。

 

 私が所属する流派で言えば、立ち方は姿勢や重心の感覚を養う事に繋がります。

 

 その先に押し合いのような対人稽古があり、自分と相手の関わり合いの上での姿勢や重心を感じ取り動かす事を学ぶのです。

 

 私が所属する流派の師範は幼少期の段階で3年ずっと立ち方「のみ」をやっていたそうですが、それほど時間と回数をかけたからこそ出来る達人技だなと最近しみじみと感じるようになりました。

 

 これは私自身が少し立ち方の良し悪しが分かるようになってきてから痛感したことですが、特に私が受けている空手の指導体系においては「立ち方に3年」は誇張でもなんでもなく、それくらいかけないと習得できない、むしろ現代社会においてはもっとかかると思っています。

 

 なぜ現代社会においてはもっとかかるのかというと、この「立ち方に3年」は現代基準ではない古い口伝だからです。

 

 現在は仕事もデスクワークが多くなり、交通の便が良くなって歩く機会も減るなど日常レベルで体を動かす事がかなり減っています。

 

 更に言えば空手の鍛錬に費やす時間も一日の割合で限られている場合がほとんどです。

 

 かなり前の記事になりますが、現代では隙間時間を埋めるために動画や音声媒体系の娯楽が発展しているという事もあり、普通にしていたら稽古の時間の捻出にも苦労するという事ですね。

 

 昔の仕事や生活がどういったものだったかは分からないものの、今よりは体を使い、体の感覚に注意を払う環境にあったと思われます。

 

 そういった人たちが3年かかると言うのです。

 

 やる気か効率か、何かしら昔の人を超える状況を作らないと前提条件にまで到れないという事ですね。

 

 実際問題、現在の私が習っている空手の稽古では立ち方の先の稽古も並行して行うようになっていますが、正直な話ごく初期から居る本当に立ち方しかやらせてもらえなかった時期がある方々とは同じ段位の人でもかなり隔絶した実力差があります。

 

 こういった基礎の積み重ねは地味で退屈なために続ける事が出来ない人がほとんどです。

 

 しかし、実はここに達人と凡人の境目があるのです。

 

 武術なんかもそうですが、確かに人にはもって生まれた才能や能力の差があるものの、それはあくまで誤差の範囲で、どうあがいても覆せないもの違いというものは少ないです。

 

 ただひたすら基礎を続け身体にしみこませることができるかという事が本質的な違いなのです。

 

 私自身の例で言えば、空手での基礎の積み重ね以外にももう一つの趣味である音楽に関しても同じことが言えます。

 

 音階練習の基礎、根音を変えて長調短調をひたすら繰り返して音感を刻み付ける、和音を聴きまくって判別がつくようにする、リズムを正確に刻む、部活を指導してくださるプロの方々はこういった練習をひたすらやる時期が必ずあったそうです。

 

 しかし、アマチュアで土日しか楽器を弾けないという状況だとどうしても曲を練習してしまいそういった基礎はおろそかになってしまいがちなのです。

 

 出来ない側からすると永久に届かないように感じる差は、まずできる人と同じだけの積み重ねをしていないからあるだけなのではないか思うのです。

 

 もちろんこれは私の仮説でしかないのですが、あたらずとも遠からずだと思っています。

 

 何かほしい技術があるのなら、まずはひたすら積み重ねてみましょう。