● 正しいが正しくないこと
今回の記事は何か主張をするというよりは、思考の整理の為に書くものになります。
皆さんに役立つことがあるとするなら、世論に無自覚に流される事を防ぐことには多少なり役立つことがあると思います。
今回のテーマは「ロシアのウクライナ侵攻に紐づくロシア文化との付き合い方について」です。
初めにお断りしておきますが、この件に関しての直接の評価を下すことはしません。
評価を下すには私が持っている情報が少なすぎる為です。
戦争そのものは問答無用で悪だと言えるとは信じていますが、そこに至るまでの経緯で何が問題だったのかを知る事は出来ません。
情報が少なく解像度が低いことについて語る事に意味はあまり意味を感じないので「評価ができない」が正しい意味に近いかもしれないですね。
ただ、この件の付随事項と言えることである程度解像度が高い事があります。
それがロシア文化との向き合い方です。
私は趣味でオーケストラの演奏をしていますが、初めて演奏した曲はチャイコフスキーの交響曲5番、自分達の代の演奏会のメインプログラムはカリンニコフの交響曲第一番、コントラバスに4弦のものと5弦のものがあることを知り、「5弦を買わなくては」と決意するきっかけになった曲はショスタコーヴィチの交響曲第12番、というように音楽という一側面においてロシアに多少なり見識があります。
「ロシアと音楽」という文化的側面を見た時に、ロシアのウクライナ侵攻から飛び火して起きた二つの事象にとてももやもやした感覚を覚えました。
その事象は「ミュンヘンフィルの指揮者ゲルギエフ氏の解任」と「各地でおこるチャイコフスキー作曲の序曲『1812年』の演奏キャンセル」です。
ざっくりというと「いち音楽家の立場でどれほどのものを背負わなくてはいけないのか」、「現代の戦争と過去の戦争を表した音楽を一緒くたにして排斥して良いのか」ということが問題になっていると私は考えています。
この話題、かなり長くなるので今回は一旦ここで区切ります。
皆さんも、戦争と政府と国民と文化について考えてみてください。