● 堕ちるところ
ちょっと今回は暗めの話ですが、「人が陥る泥沼」に関してお伝えします。
人間ストレスがかかると無意識のうちに感情が負の方向に偏り、それが極まると人に迷惑をかけていながら気付けないという事態に陥ります。
過去に私自身そういった事は何度もありましたが、本当にそういう状態になっている時は「自分がおかしくなっている」という事に気付けません。
今回の記事の例を参考に、「自分がどん底に向かっている」傾向をいち早く気付く助けにしてみてください。
今回挙げる例は私が所属する空手の団体のお家騒動のような話が根底にあります。
私がその団体に入る直前くらいらしいのですが、会員がまとまって抜ける事件があったそうです。
とはいえ、物凄く悪意がある分かれ方かと言われれば、抜けていった方々も自分の強みを生かす形の流派を立ち上げ成功しているので、少なくとも表向きは自分の道を見つけたため独り立ちしたという形になっていると思います。
表向きはというか、多くはその通りなのでしょう。
この辺り何が起きたかは私の入る前なので、変に憶測をする事はしません。
ただ、やはり全てが全て前向きな抜け方でも無かったようだという事も分かりました。
先日、と言っても結構前ですが、師範が以前お世話になった他流の空手の先生がお亡くなりになったという事で、FBに追悼の意と思い出を語る投稿をしました。
FBは半分内輪向け半分公共のような形の場なので、基本は身内に語る内容だったのですが、かつての所属メンバーの目に触れたようです。
私自身は気付かなかったのですが、空手の先輩が「物凄く失礼な奴がいる」という風に憤慨していたので、ちょっと検索をかけてみたら恐らくその騒動の時の退会した人と思しき人が投稿していました。
ざっくりと要約すると師範の名前を伏せた上で「某団体の指導者は故人とは喧嘩別れの様な状態の筈なのに亡くなったら名前を挙げて自分を良く見せる様に利用している」というような事を言っていました。
更には「私がこのような言動をするのに対して相手は悟った風にバチが当たるぞと言うが何にも起こらない、本当にこの行いが悪いというのならバチを当ててみろ」という様な言動をしていました。
なんというか…本来であれば怒り等を感じるべきなのでしょうが哀れさを感じてしまいました。
勿論私は所属している団体の師範の良い面しかまだ見ていないくらいの距離感なので、どちらをよく見るかの偏りは出ますが、それを考慮に入れても中々同意出来る要素が少ないなと感じました。
最初に直感的に感じたのは「この人は既にバチが当たっているがそれにも気付けていないんだな」という所でした。
予防線を張っていつでもごまかせる様な状態を作った上で陰口をたたき、面と向かわない所で挑発する。
そういった人を客観的に見てどう思うかは…という所です。
まあ、私もこんな記事を書いているのであまり人の事は言えないとツッコミが入るかもしれません(笑)
一応私の方は本人に対する当てこすりではなく、事象に対しての注意喚起が目的だという弁明はしておきます。
誰かの悪口を言うと同じ人を嫌っている層からはかなり強い賞賛が得られます。
ただ、悪口を賞賛する人はある意味その人の期待を裏切ると今度はそのヘイトが自分に向く可能性もあるので危険なんですよね。
人間関係を構築する上で、悪口でばかり意気投合する人は避けた方が良いのではないかと思います。
バチが当たっているのに気付けていないというのは直感的な物でしたが、じっくりと考えた時にもう一点よくないなと思ったのはダブルスタンダードになっているなという所でした。
前述の「某団体の指導者は故人の名前を利用している」という話、その指摘が真実かどうかは別問題として、故人を慮る風を装いながらその人は故人の思いを勝手に語り人を攻撃する手段に使っているのです。
本人としては義憤に駆られているのでしょう。
しかし、根底には故人への思いがあるのかもしれませんが、結果としてそれをかつての指導者を攻撃したいという意志に利用してしまっているのです。
私は師範の思いも件の攻撃者の思いも、ましてや故人の思いも知る事は出来ませんが、客観的に見て故人との思い出と感謝の意を表明するのと、故人の心情を勝手に解釈して自分の攻撃の正当化に使うのとでは、仮にどちらも自分の為の行動だったとしても後者の方があさましいと感じてしまう所があります。
一番辛いのは、本人はそういった自分が負の感情に呑まれてめちゃくちゃな行動をしているという事に気付けていないところですね。
きっと本人は正義の側に居ると思っています。
師範とその人の間で何があったか分かりませんが、滾る負の感情は自分が人として堕ちている事を認識できなくしてしまうのです。
そしてこういった事が分かった所で私にできる事は何もないのです。
前述の通り私と攻撃者の立場上、師範の側にいる私の言葉を受け入れてもらえるとは思えませんし、何より接点がありません。
食って掛かる事も出来るでしょうが、争いの種になるだけでしょう。
私に出来る事はこういった「人が堕ちる」という現象を残して反面教師と出来るようにする事だけです。
深い怒りに囚われて、誰かに罵詈雑言を吐きたくなる時、自分自身が義を背負った正義の側に居ると思った時ほど注意してください。
それが人が堕ちる時です。