● 型か形か 

 

 タイトルでは言葉の定義を述べている感じですが、今回はどちらかと言うと抽象化の思考についてのお話です。 

 

 話のきっかけはまたSNS上でポッと出てきた話題なのですが、話としては武道、武術等で使われる「かた」と呼ばれるものに「型」と「形」どちらを当てるのが正しいかという事でした。 

 

 これは結構昔から論じられている話だったりするんですよね。 

 

 ただ、正直な話こういったものは流派ごとに解釈というか、捉え方が違うので決まりきった答えは出ていないのが現状です。 

 

 一応型と言う派と形と言う派の解釈のSNSで語られていた違いは 

 

 ・型…鋳型の如く脈々と同じものを護って伝えていくもの 

 

 ・形…表に現れるカタチ状況に応じて変化する事もある 

 

みたいな感じになっていました。 

 

 正直な話この論争の面倒な所は結構な確率で「形」派は「型」という言葉を否定しがちという所ですね。 

 

 これその物は相手側に悪意があるというよりは、その流派の中で分かり易くするために対立概念を置いた所同じ言葉を使う他流派に角が立ってしまったというだけの話だと思います。 

 

 案の定SNS上では型の字を使っている人達が色々と話をしていました。 

 

 正直私もその輪に足を踏み入れつつありましたが、ふと「この解釈の違いも抽象化すれば同じような事を言っているのではないか」と思ったのです。 

 

 そこでよく考えてみると型形論争の抽象化のポイントが見えてきました。 

 

 そのポイントとは「目的は自由攻防で技が出せる」という事です。 

 

 因みに過去の私の空手関連の記事を読んでいただくと分かりますが、私が習っている流派では一応型という字を使っています。 

 

 私自身の個人的な解釈も含みますが、型で基本動作を学ぶ事で枠組みを作り、その中に流派特有の身体操作の概念や要訣を流し込むという考え方です。 

 

 流し込んだ概念や要訣が自分自身になじんだ時、型の動きに拘らなくても流派の動きを自然に出せる様になるという解釈ですね。 

 

 そして、私なりに抽象化した視点で見ると形という言葉を使う派も自由攻防で流派の動きを出す事を念頭に置いている様に感じるのです。 

 

 先程述べた形の場合の捉え方「表に現れるカタチ状況に応じて変化する事もある」これはあくまで私の見解ではありますが、要するに学んだ「形」そのものが要訣であり、状況に応じて本質を保ったまま見た目上は変化する、というように解釈出来ると思うのです。 

 

 ここまで考えると両者共に同じ事を目指しているというか、根本から違うという事はなさそうだなと思うのです。 

 

 最終的に両者とも「カタ」の表面的な動きには捕らわれない様に、という事は共通で言葉選びだけが違うという印象ですね。 

 

 この様に一見対立している概念も抽象化して捉えると対立構造が無くなるかもしれないというお話でした。