「お笑い芸人側がお笑い論を語り出したらお笑い界は破滅する」 

 

 これは芸人のケンドーコバヤシさんがインタビューで語った言葉だそうです。 

 

 

 それはかつてケンドーコバヤシさんが大ファンだったというプロレス界隈でも起こった事らしく、それと同じことがお笑いでも起きるのではないかという懸念があるそうです。 

 

 そのインタビュー記事からの引用ですが、娯楽には「マニアがジャンルを潰す」という現象があるとの事で、それはなんとなくではあるものの、正しそうだなという直感がありました。 

 

 ケンドーコバヤシさんの分析によるとその現象はマニアがだんだんと先鋭化していくと、不寛容を起こすのだそうです。 

 

 そして、「昔の方が良かった」や「こんなもの○○ではない」というような言論が多くなります。 

 

 そして、末期になるとそのジャンルの観客側ではなく、演者側がそのジャンルを語るようになり、その後決定的に崩壊するのだそうです。 

 

 あくまでインタビュー記事の主題はお笑い論と界隈の崩壊ではないので、情報量としてはこの程度ですが、これにはしっかりと考えなくてはいけないポイントがたくさんあると思います。 

 

 まず最初に言えるのは、その娯楽のジャンルが成長していくにつれて、マニアの先鋭化は基本的には避けられないものだと認識するのが大切だという事です。 

 

 なぜなら、少なからず大衆に広まる事を目指すのであれば、最初は初心者でも一目で分かる面白さ、楽しさを前面に押し出す必要があり、それが必ずしもジャンルの本質とは限らないからです。 

 

 むしろ、誰にでも分かる凄さというのは本質を示しているより、上っ面の部分である事が多いです。 

 

 きれいな花を咲かす植物でイメージしてもらえば分かり易いかもしれませんがね。 

 

 花に関して最も重要なのは、種子を形成し次世代を作る事です。 

 

 その観点で言えば花にとって最も大事なのはおしべとめしべに当たるはずですが、我々が花をきれいだなと感じるのは、そのきらびやかな花弁ですね。 

 

 厳密な話をすれば、そのきれいな花弁は花粉を運ぶ虫を引き寄せるのに一役買うので、一概に重要度に優劣を決められない所ではありますが、裏を返せばそこまで理解していなければ、初見でおしべめしべを含む花全体に興味がいきわたる事はまずないのです。 

 

 話を戻すと、娯楽においてもその様に「初心者の目を引く」為のフックと、「玄人でないと目が向かない観点」が出来てくるわけですし、娯楽を提供する側も、そういった玄人目線の反応を追い求めたくなるのが人情でしょう。 

 

 しかし、ここで娯楽を提供する側から解説を入れてしまうと、いろいろと問題が出てきてしまいます。 

 

 私が最も危険だと感じるのは「解釈が固定かされ、そのジャンルの可能性が狭まる」という問題です。 

 

 こと娯楽に関して言えば特にそうなのですが、何かを表現した時にそれをどう解釈するかは、受け取った側に全て委ねられている筈なのです。 

 

 例えば先程の花をで言うのであれば、花びらの形に目が行く人も居れば色に目が行く人も居るでしょうし、めしべ・おしべに関心が向く人も居れば、全体のバランスに目が行ったりはたまたその花に寄ってくる虫に対する興味が一番強い人も居るでしょう。 

 

 見る人の数だけ関心があり、本来そこに優劣はない筈ですが、ここで管理者などが「花を観賞する時に見るべきところは花弁の色!」というようなルールめいたものを強く主張してしまった場合、それに沿わない価値基準は全て否定されたような形になります。 

 

 それは、用意した人の意図する価値を伝える事にはなるでしょうが、裏を返せばそれ以外にもあった価値がなくなるという事でもあり、結果として良い部分の解釈の多様性が損なわれる=先鋭化しすぎるという事になってしまうのです。 

 

 そういった先鋭化を起こさない為に、また娯楽の価値をより広げるために必要なのは寛容の心です。 

 

 勿論状況によっては、何でもかんでも解釈を可として、無法地帯にして良いという意味ではありません。 

 

 何事もバランスです。 

 

 他人に価値観を押し付けるのは良くないが、原則楽しみ方は人それぞれ 

 

 ジャンルが先鋭化しつつあるなと感じたらこれを意識するようにしましょう。