今回はまた思考実験の様な内容です。
皆さんは「枠の中の自由」という言葉を聞いた時に、どういったイメージを思い浮かべるでしょうか?
因みに私は、平常ではなんとなく視覚的に狭苦しい場所で、窮屈さを感じながらも自分をだまして満足しているような状態をイメージしてしまいます。
なんとなく「自由」という言葉はあるものの、むしろ縛り付けられているようなイメージを思い浮かべるような方は多いのではないでしょうか。
しかし、実はこの「枠の中の自由」、ある考え方を持っているとポジティブに捉える事が出来るようになります。
その考え方とは追及です。
因みに私はその概念は音楽で学びました。
音楽には勿論即興という方式もあるので全てが全て枠にはまっているとも言えないですが、こと私が趣味でやっている、オーケストラで扱うクラシック音楽は再現芸術としての側面が強いと言えます。
厳密な話をしてしまうと、楽譜の出版社や第何版か等で微妙に楽譜が違ったりという事はあるのですが、それを差し引いて、仮に版元、第何版まで楽譜を揃えたとしても同じ演奏というのはありえません。
ちょっと試しに同じ曲の演奏の違いを聞き比べてもらいましょう。
譜面の版の違いは恐らくあるでしょうが、同じ曲にも関わらず印象の違いがあったと思います。
それは、近年では「楽譜に書いてある通りに演奏するんだ」という指揮者、団体が増えているにも関わらずです。
音楽において楽譜とは「どのタイミングでどの楽器が何の音をどれくらいの長さでどんな音色で鳴らすか」という事が書いてあるいわば枠なんですね。
更にいうと、特に西洋音楽においては音楽理論や通例のような物も有ったりするので意外と枠というか、決まりがしっかりしています。
そして大事なのが、同じ楽譜を用意したとしても奏者の解釈によって必ず違いが生まれて来るということです。
例えば三連符というものがあって、イメージとしては「タン|タン|タン|タン」という四拍子の一拍に音を3つ入れるので「タタタ|タタタ|タタタ|タタタ」となるのですが、一拍を3つに割るということは必ずあまりが出るのでどこかで帳尻合わせをしているはずなのですが、そこのほんの僅かな配分の偏りは奏者にほぼほぼ委ねられているということです。
ここで一拍のリズムからはみ出してしまうと完全にアウトですが、全体の四拍子のテンポを崩すことをなければ、良い割り振りを奏者が模索することで絶妙なうねりが生まれ、音楽に厚みが生まれるのです。
このような枠が決まった中で、逸脱せずにどこまで追求できるかという事がタイトルにある枠の中の自由なのです。
ただ限界を突破すること以外にも、可能性を広げる方法があるという事を覚えていただければ世の中の見え方が変わるでしょう。
ちょっとネガティブに感じるなら「顕微鏡のように細部の解像度がぐっと上がる」というふうに考えると良いでしょう。お試しあれ。