このブログでは人生を楽しむ為に役立つ思考の紹介として、ゴール設定についての記事がちょこちょこあります。
このゴール設定というのは、いわゆるコーチングの概念で、ざっくり説明すると、どんなジャンルにおいてもゴール(目的や目標)を明確にイメージする事によって達成に向けてのアイデアやエネルギーが湧いてくるというようなお話です。
細かく言うと、人はゴールが達成できる見込みが出来ると急速にエネルギーが失われる為、マメなゴールの設定し直しが必要だったり、または、ゴール側にコンフォートゾーンをずらしてそれを当たり前にすることが大事だったり、と、まだまだ私が理解しきれていない要素もたくさんあるのですが、最近ちょっとこのゴール設定に関しての理解が進みそうな命題と遭遇しました。
それは
普通に生きる事を目標とする人はどうなるのか
というお話です。
この話題になったのは、この記事でもちょくちょく登場するSNSで知り合った方とのスペースで雑談をしている時の事でした。
その方自身中々の名家と言われるようなご家庭で育ったらしく、また、それを抜きにしても中々ない経験を色々となさっているそうなのですが、現在は奥様とお子さん二人に囲まれ微笑ましい日々を過ごしています。
しかし、妹さんはそのご家庭に不満という訳ではないですが、世間との隔たりを感じていたそうで常々「普通に生きるのが目標だ」と言っていたそうです。
雑談の流れから、ご家族の中でもネタとしての話みたいなのですが、この話を聞いてからはたと気付くことがあったのです。
普通を目標としているという事は自己認識が「自分は普通ではない」という事になっているのではないか
という事ですね。
これは中々に面白い思考実験になるなと思いました。
私の中の固定観念の様なものに、ゴールとは今実現できていないがいずれ実現するものという物がありました。
この固定観念が中々曲者で、コーチングにおけるゴール設定の概念としては、ゴールを達成してそれが当たり前になっている自分をリアリティを持って認識する事が大事なのですが、私の固定観念の「今実現できていない」の部分がリアリティを持つ事の妨げになっているのです。
しかし、こういったゴールとの隔たりが認識の中にあるのなら、普通をゴールに設定すれば普通から遠ざかっていくのではないかといういわば逆転の発想です。
通常のコーチングの概念においては、エフィカシーと呼ばれる「自分は出来る」という自己認識が非常に大切になってきますが、ネガティブな感情に囚われがちな現代人にとってはそれが一番の難題だったりします。
これも一種のコンフォートゾーンですが、夢を達成できない事が自己認識に定着している人は多いように思えます。
そう考えると、平凡な世界からの脱却という方向性のゴール設定がセオリーの中で、普通を目指して、それを達成できないとするとコンフォートゾーンが裏返って自然と平凡から脱却出来るのではという事です。
まあ、今回発想のきっかけとなった知り合いの妹さんは、一般論で言えば恵まれているポジションからの平凡への願望みたいな所があるので外れ値の様な所はありますが、私の固定観念にひびが入ったのは事実です。
ネガティブな目標をあえて逆転させる。
ちょっと今後も考えていきたいと思います。