今回はライフハック的な思考の使い方「上手な棚上げの仕方」についてお伝えしようと思います。 

 

 「それはそれ、これはこれ」 

 

 こういったセリフを言ったり言われたりする場面に遭遇した事はありますか? 

 

 何かを議論している時にこの発言が出てくると、なんとなく詭弁を述べている感が出ているというか、ダブルスタンダードの言い訳に使われそうな印象があるように思われます。 

 

 なぜそんな印象がつくのか考えてみましょう。 

 

 こういった発言が出る場合は、何か相反する事象について説明をしている場面の筈です。 

 

 そしてその事象の条件の切り分けが必要なのに、その分け方の説明に具体性が欠ける等の理由であやふやな時に「それはそれ、これはこれ」という発言が出るので煙に巻こうとしている感が出るのだと私は考えます。 

 

 ただ、そういった印象があるものの、これは必ずしも誤魔化そうとしているとは限らないです。 

 

 説明する側の語彙が足りなくて咄嗟に答えが出ない事もありますし、当たり前に違うが、そこに具体的な説明を入れるのが逆に難しいというような場合もあります。 

 

 物凄く粗い説明をするならば、例えばヴァイオリンの簡単な説明をしていて、「ヴァイオリンの調弦は高い方から順にミ、ラ、レ、ソ」ですよと言った時に「でもギターはミ、シ、ソ、レ、ラ、ミですよ」と言われたら「それはそれ、これはこれ」という系統の返しになるという訳です。 

 

 仮にこの流れでしっかりとギターの話題に返答しようとすると、そもそもの楽器の歴史や、音楽的に果たす役割、構造と奏法等々、最初の目的とズレた話に大量の情報が必要になってしまいます。 

 

 全て説明して本当に伝えたい事から話が逸れてしまわない様に、本筋以外の話を省略した方が良い場合があるという事ですね。 

 

 まあここまで書いて何が伝えたかったかと言うと、要するに「それはそれ、これはこれ」という言葉は事象の違いを理解した上で使う分にはあり、という事です。 

 

 便宜上この用法を「良い使い方」としましょうか。 

 

 この「良い使い方」が出来るという事は、即ち事象の本質を見抜いているという事を意味します。 

 

 基本的に何か議論をする時は、重大な前提の一致は確認する必要がありますが、それ以外の余分な話はどんどん切り捨てていった方が良いのです。 

 

 これが冒頭に述べた「上手な棚上げの仕方」になります。 

 

 こうやって言葉にすれば当たり前に感じるでしょうが、きれいに本質を切り分けて不要な要素を棚上げするという事は意外に難しいです。 

 

 先ほどの極端な例の様に、ヴァイオリンの説明中に全く関係ないギターの話をしていれば、本質からズレている事は分かりますが、仮に調弦の話をしている時に「どうしてその順番に音が並んでるんですか?」という話になると、本質とはかなり近い話になるので切り分けが難しくなるでしょう。 

 

 一応最初に挙げた例では、「ヴァイオリンを簡単に説明」という状況を想定しているので、たとえ調弦の話で同じに見えても、概要説明という目的からは外れるので、調弦の理由は一度棚上げしないといけません。 

 

 この例でもそこそこ難しい気がしますが、さらに難易度が上がるのが、対象が人になった時です。 

 

 人は一貫性とは程遠い存在です。 

 

 にも関わらず、ゲシュタルトとしては一つの存在として間違いなく成立しているという事が厄介なのです。 

 

 さらに言えば誰かを評価する時に、人は必ずその対象の実績や主張そのものだけではなく、印象を考慮にいれます。 

 

 一貫性もない上に、印象の影響を受けやすいので、何かを評価する指標が人になる事は絶対に避けた方が良いのです。 

 

 「誰々の言う事だから信用しない」「誰々もこう言っているからこうだ」というような言葉、よく耳にしませんか?また自分で言っていませんか? 

 

 何かの命題に関して議論をする時に、命題の本質を捉えて不要な話を棚上げして主張の支持、不支持を決めると、結果として人を基準に判断する人からすれば一貫性が見えなくて文句を言われる事もあるでしょう。 

 

 時には場に合わせるのも大事な事はあるかもしれません。 

 

 しかし、正しい判断が必要な時には流されない事も大事です。 

 

 合わせるか、本質を見るか、選択肢を自分の中に持ちましょう。 

 

 そして、本質を見る時は揺らがない為にこの言葉の価値を高く見て使うのです。 

 

 それはそれ、これはこれ