さて、前回、前々回でオカルティックな話と科学っぽい話をしました。
まぁ 私は正しい信仰という感覚を持ち合わせているかというと微妙なのでオカルティックな方を信仰というのも変ですし、科学っぽい方を科学と言ってしまうのもちょっと語弊があるのですが、前々回と前回の話をざっっっくりとした認識で語ると信仰と科学の対比、さらに嚙み砕いて(不思議な事を)信じる事と疑う事の対比と言えます。
しかし、このように対比して記事を書きましたが、どちらかに偏りきってしまうのは非常に良くない事なんですね。
なんでも信じるという事は言い換えれば何でも鵜呑みにする事であり、また、なんでも疑うという事は裏を返せば実質正誤の判断が出来ていないとも言えます。
信じる事と疑う事の本質に気付けずに悪い面だけ極まってしまうと、「何か絶対的な正解が存在する」という間違った認識が抽象化されてしまうんですね。
何事もバランスが大事です。
ただこのバランスが非常に難しい。
あのSF映画の超大作STAR WARSの世界観で当てはめてみても、アナキンスカイウォーカーが息子ルークと共に皇帝を打倒してフォースにバランスを取り戻すまでに都合映画6作分、さらにバックストーリーを考えると千年単位で光と闇の勢力が「俺だけが正しい」とすったもんだしていた訳です。
一応STAR WARSの例えはネタですが、認識としてバランスは大事だけどそう簡単に手に入れられるものではないという風におぼえておくべきですね。
信じる事と疑う事のバランスを取る為に必要な考え方は過去の記事でもいくつか紹介しましたが、今回の記事でおススメするのは信じる事と疑う事という観点から、「信頼の数値化」と「寄りかかる物の不確かさの認識」という考え方を紹介します。
公園でも運動場でも学校とかでも良いですがフェンスを想像してみてください。
そして立ちっぱなしが辛くなったとかそういった時にフェンスに寄りかかる事を想像してみましょう。
まずは体重を預け切っても大丈夫か確認して見ますよね?
その時に見た目がボロボロだったりしたら、全体重を乗せようとは思わないでしょう。
ここで、新品で強度が十分そうだなと感じたら普通に全体重預けるでしょう。
しかし、見た目には分からない場所に亀裂等が入っていて、全体重乗せ切ってしまった時にフェンスが壊れて受けるダメージは、とても大きくなってしまうのが想像つくと思います。
自分の身を安全に保つ為には、寄りかかるフェンスが倒れる可能性を考慮に入れた上で、フェンスの信頼性を考えないといけない訳です。
先程述べた信頼の数値化が「フェンスの状態の確認」、寄りかかる物の不確かさの認識が「フェンスが倒れる可能性がゼロにはならない事」というように繋がります。
数値化に関しては正確にする必要はないですが、ある程度「大丈夫そう」と「ヤバそう」の度合いは見た方が良いです。
その上で、別にボロボロのフェンスに全体重をかけても良いんです。
フェンスが倒れる可能性を考慮に入れているなら、受け身を取るなりの対策は打てますからね。
もし何かあっても対応できる心構えを持った上で、信じた時はその分だけしっかりと寄りかかる。
結果として、「信じる事」と「疑う事を」行ったり来たりする。
バランスに関しての一つの考え方です。
どれくらい信じられるかの多寡を考えたり、もしもの事を想定するのは頭の体操にもなるので日頃意識してみてください。