今回のテーマは合理的・論理的と混同されやすいこじつけに関するお話です。 

 

 「その話は合理的(論理的)じゃない」 

 

 皆さんはこんな事を言った事がありますか? 

 

 現代社会は情報に溢れ、正しい情報、間違った情報、新しい知見、古い話等々玉石混合です。 

 

 誤った情報に踊らされないようにするために、ネットリテラシーが求められる昨今ではありますが、それでもなお風説の流布に引っ掛かる人や、悪いと陰謀論にハマる人が後を絶ちません。 

 

 それに対してよく聞く批判が上記の発言だったりするんですね。 

 

 「一見筋道が通っているようで実際はこじつけているだけだ」 

 

 という発言もよく耳にしますが、何が合理的(論理的)で何がこじつけかという事は正直な話、学術的にディベートをする必要がある人が、その議題の分野においてしっかりと研究を重ねた上で臨まないと判定は厳しいはずなのです。 

 

 安易に合理的または論理的かどうかを判定する事は、逆に危険だと理解しましょう。 

 

 そもそもの大前提として、人間の脳は物事を関連付けたがるという性質があります。 

 

 しかし、この性質は決して悪いものではなく、いくつもの情報を関連付けて一つのゲシュタルトとして認識する事で情報処理のリソースを下げたり法則性を見出す事に役立ったりするのです。 

 

 ある意味合理的である、論理的であるという事自体もこの関連付ける性質から再現性のある法則・理論を見出したと言えるのです。 

 

 そういった意味で、人は何でもこじつけたがるという認識を持っておくのは大事です。 

 

 広い意味で言ってしまえば合理的・論理的とこじつけは人間の同じ性質から出てきているため、切り分けが難しいという事です。 

 

 ざっくりと言ってしまえば後々使いまわせる有用な関連付けを合理的・論理的な物と言い、その場限りで後に使えない関連付けをこじつけと言うと思ってください。 

 

 発酵と腐敗みたいなものですね(笑) 

 

 仮に何かの現象に理由をつけようとした時に、人は自分が持つ情報を関連付けていって筋道を立てます。 

 

 しかし、その時手に入れられる情報が十分である保証は無いのです。 

 

 その時に得た情報が不十分であったとき、その手持ちの情報を組み合わせてその中で最適化してしまい、結果として歪んだ筋道が形成されてもおかしさに気付けないという事は充分にありえます。 

 

 むしろ、その手持ちの情報の中だけで考えれば、これ以上ないほど合理的に組み合わされてしまったりする事もあり、そうなると新しい情報で組んだ筋道が壊れる事を拒む心理状態も生まれます。 

 

 間違った風説や、陰謀論に飛びつきたくなるのには理由があり、それは一種の「きれいな筋道」を形成しているからとも言えるのです。

 

 

 「人は何でもこじつけたがる」という事を理解した上で、常に「今ある情報が全てとは限らない」という事を危機意識として持ちましょう。

 

 そうすれば、仮に専門外の知識を並べられても安易な信仰は生まれにくいですし、自ずとどんな情報が必要かも見えてくる筈です。

 

疑うというよりは情報の整理のつもりで取り組みましょう。