先日大学の方の母校のオーケストラの練習に参加してきました。
このブログにおいて高校時代の母校に行った話は何度か書きましたが、大学の方は初だと思います。
何故かと言われると、コロナによって丸々一年間ほぼ活動が休止していたためです。
同じパートの後輩は昨年代表を務めたにも関わらず、一度も演奏を開くことが出来ず、本人たちと同様にとは行かないまでもとても残念でした。
しかし、現役生達の活動で、どうにか今年からは演奏会の再開が出来るということでした。
微力ながら、私も参加している団体の感染対策ガイドラインを共有したりもしたので、感慨深いものもあります。
そんなこんなで漸く開催の運びとなった演奏会の為に、久しぶりに練習に参加したのです。
久しぶりに参加した母校の合奏で感じたこととしては、自分含め一年の空白は大きいなと言う事でした。
いや、これには本当に色々な意味があります。
まずは指揮者の方の指導法
指揮者はプロの方ですが、合奏の進め方が大筋は変わらないものの、かなり優しくなっていました。
優しくなったというより、一年演奏機会が失われたことによるマイナスをしっかりと鑑みているということなのでしょうね。
学生側も、きっちりと自分たちの手で運営と演奏会を行った代は卒業してしまい、新四年生と新三年生でフォローし合いながら進めていますが、どこかぎこちなさも感じました。
そういった一年の空白の爪痕を感じつつも、新三年生…コロナ前に会った時はまだ一年生で会っていない期間の方が長い後輩が意外と私のことを覚えていて挨拶に来てくれたりしたのはとても嬉しかったです。
さて、今回の合奏で練習した曲はシベリウスの「序曲 イ短調」とベートーヴェン交響曲第5番です。
シベリウスの方はかなりパート毎の難易度格差が激しいようで、コントラバスはそれほどでもないですが、ヴァイオリンが相当厳しそうでした。
と、他のパートを心配している場合でもなく、交響曲の方は交響曲の方でコントラバスの重要性がとんでもなく高く、かなり神経を使いました。
実は交響曲の方は過去にも演奏機会があったため、正直高をくくって臨んでいる節が有りましたが、過去の演奏時とは違った課題が見えてきました。
なんというか、コロナ以前の私は、練習時間に物を言わせて多少無理な動きでも勢いで乗り切っている節がありました。
しかし最近は、空手での身体操作の概念も相まって、無理をしない動きという考えが浸透しつつあり、そうするとちょっと記憶が抜けてもいる、昔の演奏の時の動きが合わないんです。
「ああ昔はここもっとスムーズに弾けたんだけどなあ」と思う部分が中々多くて悔しかったです。
しかも半端に記憶が残っていますし、気持ちが急いてしまってそれが力みにも繋がっていた気がします。
流石に絶望的だった年明け一発目のオーケストラの練習よりは遥かにパフォーマンスは良いですが、まだまだ精進が必要だなと自覚しました。
徐々にコロナも落ち着き、演奏会も再開しつつある昨今、もう一つ上のステージに上がれるように頑張ろうと決意しました。