今回はライフハック的に志向の切り替えというか、怒りや不安との向き合い方のお話です。

 

 分かり易い例を出すために、この記事ではSNS上で起こりやすい事を題材にしようと思います。

 

 皆さんはSNSをやっているでしょうか?

 

 今どきの世の中で全くやっていないという人はそうそう居ないのではないでしょうか。

 

 私自身TwitterやFacebookなども使っています。

 

 これは余談で、ちゃんと調べるまで知らなかったのですが、LINEもSNSに分類されるんですね(驚)

 

 なんとなくメールの延長線上にある認識でした、世代がばれますね(笑)

 

 SNS、特に比較的緩い繋がりが遠くまで広がりやすいTwitter等をやっていると、恐らく現実よりもはるかに変わった人がそこかしこに居るという事はお気付きになるでしょう。

 

 「変わっている」にも色々居ますね、何事にも難癖をつける人嘘を垂れ流す人女性と見るや知識や嘘武勇伝でマウントを取る人etc.

 

 そういった人の言動が見えて、自分も心が悪い方向に揺さぶられてしまい、怒りや不安に苛まれる事もあるのではないでしょうか。

 

 過去の記事で内容をぼかして失敗したことを書きましたが、実は内容としてはまさしくこれで、SNSで拾った情報から怒りを溜めてしまい、攻撃的な発言をしてしまった事がありました。

 

 その記事では、自分を保つために、自分が揺らがない方法という観点で、俯瞰して周りと自分を観察するという事を書きました。

 

 もちろんそれも有効ですので行なってほしいですが、別のフレームでの対処法も知っておくと応用が利くでしょう。

 

 その別のフレームの対処法とは未知の物との境界をはっきりさせるというスタンスを持つことです。

 

 参考までに過去の記事を読んでみてください。

 

 

 未知の物は、ともすれば恐怖や嫌悪感を生じる可能性があります。

 

 そして恐怖や嫌悪は怒りを生じさせる事にも繋がります。

 

 では、恐怖や嫌悪、怒りという感情から脱却するためには全知全能にならなくてはならないのか?流石にそんな事は不可能ですよね。

 

 全知全能になれずとも、そういった負の感情をコントロール下に置くための考え方が先ほど言った未知の物との境界をはっきりさせるという事なのです。

 

 ざっくり言うと、分らない物は分らない物として許容するとも言い換えられます。

 

 例えば私は空手をやっているので、Twitterでも武術関連の情報をよく見るのですが、そこで起こりがちなのは他流批判です。

 

 「この技はこうするのが正しいのに〇〇流はそれを理解していない」等と言う人がよく居るのです。

 

 大体はSNS上に上げた発言や動画に関しての難癖なんですが、だいたいそういう人は怒りに包まれているわけですね。

 

 こういったことは何故起こるか、例えば武術家同士でそういった批判が起こっていた場合、片方が自分が習得したものと違う物を伝えていると感じてしまっているわけですね。

 

 自分の中で合理化が行われた事象に対して、知らない切り口でアプローチされることで、自分の領域内に未知の情報が混ざる為、それを拒絶しようとしているんですね。

 

 実際のところTwitterでは一つの呟きで140字、動画や画像も上げられますが時間や枚数は僅かです。

 

 その少ない情報だけで見えない部分を想像してしまうと、一部しか見つかっていない古生物の化石を想像で復元するが如く、意味のわからない物が出来上がってしまうのです。

 

 武術の話で言うなら技の保存の観点で、要訣を隠して作ったパフォーマンスの動画に対して「〇〇が出来ていないじゃないか!」という言葉を投げつけるのはあまり褒められたことではありません。

 

 コミュニケーションの取り方としても問題がありますし、、意図を汲み取れていないという理解力の低さを露呈してしまうことになるからです。

 

 因みに一番厄介なのは、自分で武術をやらないが漫画等の知識だけはある武術オタクですね。

 

 結構Twitter上でもファンタジーと現実の区別がつかなくなっている人が、誰彼構わず噛み付いている所を見かけてしまいます。

 

 今回は武術関連で例を挙げましたが、困ったさんはジャンルを問わず現れていると思います。

 

 経験則のみ、または漫画等のキャッチーな情報しか見えない人は一定数居ますし、誰しもその状態に陥る可能性はあると思うのです。

 

 また、ストレスが多い現代社会では、視野が縮こまって、気づかぬうちにそういった困ったさんになってしまうことがあります。

 

 そうならないために大切なのが上記の分らない物は分らない物として許容するということなのです。

 

 何かよく分からない事を言っている人と出会い、気持ちが負に傾きそうな時にこう考えるのです。

 

 この人の事情をすべて知っている訳ではない

 

 これが結構大事です。

 

 見えないところに、その発言の根拠になるようなことがあるかもしれないと考えるわけですね。

 

 でも人の感情や思考なんて読めないわけですから、全てを察するのは土台無理なのです。

 

 「ひょっとしたら何か理由があるかもしれないな」と一度考えることで、相手の理解できない行動と自分の思考に境界を引くのです。

 

 その後一歩踏み込んでその理由を知るかどうかは、自分で決めてください。

 

 全て理解するか、またはそこにリソースを割かずに蓋をしてしまうのかの2択です。

 

 交友関係でも、相手のことを生まれてから今までの全て知らないといけないかと言うとそうではないじゃないですか。

 

 極端な例を上げますが、スマホやパソコンの構造や仕組みを理解していなくても快適に使うことは出来るのです。

 

 仮に気に入らない行動や言動の理由を探ると、十中八九酌量の余地は少しは出てきます。

 

 逆にそういった酌量を拒絶するために、情報をシャットアウトしてそういった人と関わらないという選択をするのも正しいのです。

 

 大事なのは線引き、人は人、自分は自分ですよ。