メール講座によるインプットからのアウトプット第2弾です。

 

 今回お伝えするのは自由にも種類があるというお話です。

 

 パッと聞くと「何言ってんだこいつ?」となる話ですが、ある意味日本人が不自由な事に気付き辛いのってこういう事なのかなという部分も含めて解説していきたいと思います。

 

 本題の解説の前に前提条件の話をしていきましょう。

 

 英語だと雨は「rain」で一括だが、日本語は様々な雨を表す単語がある

 

 という話を聞いたことがあるでしょうか?

 

 確かに日本語だと今思い浮かんだ限りでも

 

 大雨、小雨、五月雨、時雨、霧雨、にわか雨、通り雨、豪雨 erc.

 

 大量にあります。

 

 英語は厳密に言うと、rainで一括になっているとするのは流石に暴論ですが、確かに日本語ほど多くないというか、〇〇な雨としてrainに形容詞を付けて説明していることが多いというお話です。

 

 そういった違いが生まれるのは様々な要因があるらしいですが、一つの要素としてそれなりに大きいのがその対象への視点の多さが挙げられるそうです。

 

 ざっくりと言うと日本は最近は別として、四季ごとの気候の差も大きかったり、農耕の関係で雨が恵みにも害にもなり得えます。

 

 時には天の恵み、時には災害、またある時は季節を感じる情緒があったり等という様々な視点で見ることが多いためその分日本語には雨を表す単語が多いというお話です。

 

 この雨の話は、日本語と外国語の表現の多様性がどこに現れるかの説明によく使われるのですが、裏を返せば日本語では分化していないが他の言語では細かく分化している物があるとも言えます。

 

 そして、今回のテーマである「自由」という単語もそういった、日本ではあまり分化しなかった言葉なのです。

 

 皆さんは普通に自由と聞くとフリーダム=freedomという単語を思い浮かべるのではないでしょうか?私はそれしか知らなかったです。

 

 実は日本語で自由という単語を当てられる英単語にはリバティ=libertyというものもあります。

 

 そもそも今日本語としては一緒くたにされているので判別がつきづらいと思います。

 

 この辺りは個人でどの様に規定するのかが大事なのであくまで簡単に理解しやすい様にWikipediaの記事を載せておきましょう。

 

 

 

 

 Wikipediaの情報を鵜呑みにするのもよく有りませんが、一つの目安としてfreedomは自然発生的、生得的な最初から手にしているようなイメージですね。

 
 対してlibertyは語源の中に社会的・政治的や負債等の言葉が出てくるため人の営みによって生まれた軛からの脱却というイメージがあります。
 
 こう考えた時、人は自由になりたいと願った時どちらの意味を指しているのかを認識しておかないと行動を間違えてしまいそうだなと私は感じました。
 
 ある意味でfreedomを得ようとするのは覚悟さえ決まれば簡単な話なのかもしれません。
 
 人間的な生活を全て捨て、山に籠もって日々を暮らすという事を望めば実現は不可能ではないでしょう。
 
 しかし、実際のところはどうでしょう?
 
 現代社会において、食べ物は自分で作らなくてもコンビニに行けばすぐに手に入り、友達とはSNSで簡単にやり取りが出来て漫画や小説、ゲーム等の娯楽も溢れかえり、知りたいことがあれば手に持っているスマホでちょっと調べれば完全でなくとも中々の精度の情報が入ってきます。
 
 物質的に恵まれている中で私達が何に縛られているのかと言えば仕事やお金等人が生み出した価値観に縛られているのです。
 
 しかし、そこでfreedomの自由しか知らないと、本来なら生物として持っていない事柄で縛られているというものあるのでそれらを捨てるという発想しか生まれてこないのです。
 
 libertyに関する説明でWikipediaには無かったものでは闘争して勝ち取るもの、選択して取ったものという解釈を当てる人も居ます。
 
 あくまで今回の話は、個々人がどういった自由を手にしたいかと言う話に繋げたいので定義は皆様におまかせします。
 
 では、どういった自由を勝ち取りたいのか?こういった話はまた別の機会にしっかりと伝えることにしましょう。
 
 まず、今回は自由にも種類があるということを理解してください。
 
 そして、自分自身が真に願う自由とはなにかを考えてみてください。