昨年末に見てきました映画「えんとつ町のプペル」ちょうど先日の記事で紹介したキングコングの西野亮廣さんが製作総指揮を務めた作品です。
とは言ってもだから見に行ったのかというと実はそうでもなくて、たまに無性に星や海といったきれいな景色を見たくなるという衝動が出てきて映画を見に行ったり山登りする時があるのですが、丁度その流れで宣伝が目についたのが理由です。
因みに一昨年はほぼ同じ理由で海と鯨を見に行こうというモチベーションで、よく知らない漫画が原作の「海獣の子供」という映画を観に行きました。
後から知ったんですがこの作品もアニメ制作会社がプペルと一緒だそうで、なんとなく映像のクオリティというか制作会社の中で共通する作風みたいなものに惹かれているのかも知れませんね。
シンプルにざっくりとした感想と言えば面白いです。
星を見に行く映画なので自分は星が好きなんだろうと思っていたのですが、作中の舞台となるえんとつ町のいわゆるスチームパンク的な雰囲気も好きなんだなという事に気付かされました。
この映画はもともと同じタイトルで、西野さんが映画の手法を参考に作った絵本が元になっていますが、内容は結構変わっているようです。
主人公のルビッチは煙突掃除夫、亡き父に代わり生計を立てるために日々仕事に出るため同年代の友達が居ません。
彼が住むえんとつ町はその名の通り煙突が大量に並び立ち、空はその煙突から立ち上る煙に覆われています。
ハロウィンの夜、不思議な石(心臓?)がごみ山に落ちてその周辺のごみを集めて人形を作り上げます。
そのごみの塊は意思を得るが何も分からずとりあえず近くのハロウィンの仮装をする子どもたちに混ざります。
しかし、ハロウィンが終わるとごみの集まった化け物であることがバレてしまい、人々の輪から逃げざるを得なくなるのです。
ほうほうの体で逃げ出すごみ人間と、ハロウィンの日も母には友達とハロウィンに遊びに行くと嘘をついて煙突掃除の仕事に出ていたルビッチが出会います。
紆余曲折を経てルビッチはごみ人間に、ハロウィンを共に過ごした友達として母を安心させる為に口裏を合わせることを申し出るのです。
そしてそこでごみ人間にプペルという名前が与えられるのでした。
何故えんとつ町が煙に覆われ、人々は星を信じないのかその謎を解き町のみんなに星を見せるために奔走するのが映画の大筋です。
この作品の面白さは視点の違いで考察の幅があるところだと思っています。
フラットな視点で冒険譚として見るのも中々面白いですが、一歩踏み込んで作者の意図まで考えるとまた新たな気付きがあります。
先日の記事の動画を見ていただければ分かると思いますが、この作品は西野さん自身が夢を追いかけている時の周囲の反応と、自らの意思を貫く戦いを一種の自己投影として描いているとのことです。
そういったメタな視点で捉えるとまたこの作品の味も変わってくるんですね。
あまり私の考えを述べすぎて皆さんが見た時の印象がブレると良くないので小出しにしますが、絵本と映画で「何をするのか」と「誰を救うのか」が微妙に違います。
これは絵本と映画で入れ込める情報量が違うからとも取れますが、私は背負うものの変化が出ているのではないかなあと思ったりもしています。
そういった絵本との比較以外にも作中の描写で「こういう人現実にもいるよな」とか「一見この人が悪そうだけど理由もあるんだな」みたいな物を探るのも面白いと思います。
流石に鬼滅の映画を超えることはないにせよ、なかなかオススメです。
よろしければぜひ見に行ってみて下さい。