今回は先輩という立場の重要性についてお伝えしようと思います。
この記事を書こうとしたきっかけは、過去の記事で書いた苫米地式コーチングのインタビュー本に関しての原稿の打ち合わせです。
3人番目にインタビューを受けていただいた、蒼井サラさんとのやり取りの中で私と蒼井さんの間で「どこを重視するか」の基準が少しだけずれていたことに気付いたのです。
今回のkindle書籍は、苫米地式コーチングの知識はある程度あるが、実際にコーチングを受けていない入門前の段階の人が対象です。
そういった事もあって蒼井さんから、インタビューで出てきた内容を補完できる話も追加した方が良いのではないかという提案を受けての打ち合わせを行いました。
その打ち合わせで感じた視点の違いは恐らくですが、立ち位置の違いによるものです。過去の記事にも少し書きましたが蒼井さんとのインタビューで私が印象的だった事の一つが、普通の人との距離の近さでした。
過去の記事にも書いた内容ですが改めて書くと、「苫米地式の知識をしっかりと持ちつつもその知識がない人たちの気持ちも実感として分かっている」というコーチ補ならではの先輩的な立ち位置が私には印象的だったのです。
そしてここに微妙な齟齬があって、私が感銘を受けたほどには蒼井さんの中ではコーチでもあり普通の視点もある事が示されるエピソードが重視されていなかった様なのです。
打ち合わせでは私からはその部分はむしろ押し出したいポイントだとお伝えして、思いのほか蒼井さんにも気づきを与える事が出来たようです。
抽象化した話ではありますが、部活の先輩後輩の様な関係に当てはめてみると、後輩の立場からは先輩の教える内容だけでなく人間性や今に至る努力等の過程を含めて憧れる物ですが、先輩側の立場だと教える内容を洗練させる方に注意が逸れてしまうことは確かにあると思います。今回は正にそんな感じでした。
実を言えば、私がその先輩的な立場に注意が向いたのは空手の稽古会での経験からだったりします。
よく考えたら説明せずにブログで使っている単語ですが、私が所属する会派の空手は現在は師範が一人のみで、各地域ごとにある支部は代表の「稽古会長」という存在に取りまとめられています。
とはいえ、稽古会長=師範代の様な立場かと言うと厳密には違い、それこそ先輩というような立場で皆で稽古をしていくというスタンスです。
私の所属する会派の空手の稽古会長と苫米地式コーチングのコーチ補という立場は、その様な先輩的存在であるという点で似ていると言えます。
その上で私が所属している稽古会の稽古会長からの言葉が私にはかなり刺さっていたのです。それは以下の様な内容です。
今の人は恵まれている。昔は師範一人に先輩が居なかったから「本当にああなれるのだろうか?」とか「師範が天才なだけで再現性が無いんじゃないか」という不安があったが、今は各支部の稽古会長という立場の人が増えて師範との中間の目標にしやすい存在が居る
一言一句一緒ではありませんが上記の様なニュアンスの言葉を受けて、確かに遠すぎる目標だと精神的にキツイ物がありそうだなと思っていたのです。
余談ですが、目標の中間の目標という考え方は苫米地式でも意味を持っています。
はるか先に設定するゴールのビジョンがはっきりすればするほど、ゴールに向かう強いエネルギーが生まれます。
しかし遠いゴールを設定してイメージが湧きにくい場合はそこから逆算した中間のゴールを設定して、そこに至るビジョンをはっきりさせるという事です。
先程の空手の話で言えば、師範の様な技術を身に着けたいがビジョンが湧かないのでまずは稽古会長という身近な距離感で指導してもらえる方を中間の目標にするという事です。(それでも身近なだけではるか遠くですが(笑))
さらに言えば、先輩という立場の重要性は私が学んだ情報発信のビジネスのセミナーの先生も説いていました。
先輩という立場の利点は複数ありましたが私自身は、「指導者だとその人に頼る思考が生まれてしまうが、先輩という立場で接することで相手の自主性も伸ばせる」という認識でいます。
気づき自体はごく最近でしたが、実はもっと前から先輩の重要性を知る経験はしていたんですね。
何かに取り組めば、必ず先輩という立場に自分がなるときは訪れます。その時に自分自身の為にも後輩の為にもなる振る舞いが出来るようにしっかりとその重要性を理解しましょう。