先日物販ビジネスのオーナー会の総会がありました。形式ばった物というよりは懇親会に近い形式で、交流を深めつつも様々な学びのある会でした。 

 

 その会で特に心に残ったのがいずれ無くなるものを記録として残すという考え方でした。 

 

 話の流れを説明しましょう。そもそも私が携わっている幾つかのビジネスのうち、このブログを書くきっかけとなった情報発信ビジネスの講師と物販ビジネスのオーナー会の主催者のうちの一人は同じ方なのですが、先日その方に私のブログを見つけてもらったのです。。 

 

 その瞬間の驚きや喜びは本筋とは外れるので割愛しますが、ブログ上でフォローフォロワーの関係になったので改めてその方のブログを読みに行ったのです。 

 

 そうすると当たり前と言えば当たり前なのですが、その方の文章は自分自身のものと比べて抽象度の高さと分かりやすさのバランスが段違いに良いという事が分かり、先の長さを実感しました。 

 

 そして先日、総会でその方と直接話す機会があったのでブログのフォローをしていただいたお礼を兼ねて挨拶をしに行ったのです。 

 

 その時私はお礼と共に、「まだまだ抽象度の低い記事ばかりですが良い物が書けるようになるように頑張ります。」といったようなニュアンスの事を言ったんですね。 

 

 そこで話が冒頭とつながって記録を残すという事についての話になりました。例えば家族やペットの写真を撮ったりすることで何が起きるのかと言えば、本来失われるはずの情報が記録されて残るということです。 

 

 もう少し具体的に想像してみましょう。赤ちゃんが初めて自力で立ち上がった時をイメージしてみてください。もしカメラが無ければその瞬間の感動や驚き、喜びは流れて行ってしまいます。 

 

 その場に立ち会えなければ感動も味わえませんし、立ち会えても記憶は段々と失っていってしまうでしょう。 

 

 カメラやビデオの普及によってその瞬間の視覚や聴覚情報は残せるようになりました。最近では当たり前になってありがたみを忘れがちですが、過去を積み重ねられるという事は大きな価値があります。 

 

 先に挙げた思い出という例が最も実感が湧きやすいと思いますが、見落としがちであり、しかも思い出と同等に重要なのが自分自身の進歩の記録です。 

 

 今出来ている事が出来なかった頃の自分には戻る事が出来ません。しかし、誰かに指導をすることがあったり、共感することが必要な場面で「その頃の自分だったら」という情報が必要になる事は多いのです。 

 

 私のブログの他のシリーズを例に挙げるとコントラバスの技術を後輩に教える系の記事がクリティカルに自分の進歩の記録の重要性を示しています。 

 

 コントラバスの技術習得は自分で記録を残していなかったので、出来なかった頃の思い出ばかりが先行して打開策が出てこないんです。 

 

 そうなるとどうなるか、今自分が出来る事の解説をしたとして、それが後輩の成長段階に見合った物かが判別がつかず、高度すぎる事を教えてしまったり、反対に課題のレベルが低すぎたりしてしまうのです。 

 

 技術習得に限らず、成長することで重要なのは成長しきった後のパフォーマンスではなく成長の前後の変化を理解する事です。 

 

 ブログを書くという事はその時々の事象を記事にすることで、振り返る事が出来る記録を多く残すという事です。それによってそこからどの様に成長したかもより具体性を持って残すことが出来ます。 

 

 未熟なら未熟である頃の記録があった方が成長した結果どれほど伸びたかという実績もつくという事ですね。 

 

 こういった話をしてくださった方もかつては未熟だった頃はあり、しかしその頃から積み上げている記録が有るからこそ今があるとの事でした。 

 

 記録を残すという事は成長の為にとても重要です。これはブログの様な公開するものではなくとも価値があるそうです。皆さんも是非やってみてください。