今回は先日あった演奏会から展開して晴れ舞台における練習と本番の違いについてお伝えしようと思います。
ここで言う晴れ舞台での本番とは私の体験として例に挙げる演奏会や、スポーツをやっている人なら試合や大会、仕事においては新しいプロジェクトのプレゼン等々、日常から切り離された自らのパフォーマンスを試される場という事にします。
世の中にはそういった本番に強い人も居れば、反対に練習でのパフォーマンスの方が良いという人も居るでしょう。
私の大学時代の部活の先輩には途轍もなく本番に強い先輩が居ました。その方は大学から楽器を始めたという事もあり、練習自体はとても真面目に取り組んでいたのですが、合奏練習は注意されることが多い方でした。
しかし、その先輩の本番での爆発力は凄まじく、毎回演奏会ではそれまでの練習で見られなかった様なパフォーマンスを披露していました。
私はことオーケストラの演奏会に関しては比較的本番のパフォーマンスが良い方ではありますが、多分元々はあまり強い方ではなさそうかなと思います。
演奏会に関しては場数も相当に踏んでいて慣れもありますし、オーケストラという形式では一人のミスで大きく全体が崩れるという事もそうないので伸び伸びと出来るというところはあるでしょう。
逆にあまり場数を踏めないものや、ミスした時に全体への大きい事柄に関しては現状ではかなり苦手意識があります。例えばオーケストラの中で入るソロやデュオ等ですね。
先日開催された演奏会のプログラムにあったマーラーの交響曲第一番「巨人」には三楽章の冒頭で有名なコントラバスのソロがあります。今回の演奏会はその楽団のコントラバストップの方が弾きましたが、私もかつて二度程ソロを弾く機会がありました。
その時はどちらも確かに合奏の中でのクオリティは本番が一番良いと言えるのですが、個人練習と合奏中では身体が違うんじゃないかと思うほど感覚が違います。そう考えるとデフォルトでは本番に弱い方の人間なのかなと思っています。
さて、では練習と本番で何が違うのか。様々ありますが大きいのは緊張感だと思います。特にその一回のみで他人からも自分自身に対しても評価が決まる本番という物はそれまでの練習とは感じる緊張感は段違いでしょう。
この緊張感という物がなかなか厄介で、適度に働けばパフォーマンスが向上し、過度に働けば実力を出せなくなります。
適度な緊張というものは過去に書いたコンフォートゾーンの記事に近い例がありますが、心地よい状態から離れた時に自らのパフォーマンスを最大限発揮してコンフォートゾーンに戻ろうという無意識の働きが作用するという事です。周りに対するアンテナが鋭敏になり、適切に自分の技量を発揮させることが出来ます。
過度な緊張に見舞われるとそれは恐怖に近い感情になってしまいます。そうすると緊張の元から逃れようとする本能からネガティブな情報ばかりを拾い上げてしまい、更には解決の方向ではなく少しでも受けるダメージを減らそうという反応が起こって身体が縮こまってしまうのです。
この緊張感も人によって感じる度合いが違うので、練習の段階が適度な緊張に当たる人、本番が適切な人が出てくるのです。
では本番に弱い人はずっとそのままなのか。決してそんなことはありません。私自身の例にも挙げているように、元々本番に弱いタイプの人でもパフォーマンスの向上は可能です。
それについては次回お伝えします。お楽しみに!