今回は私が空手を再開してから変わった他の武術に関しての見方を題材に、安定した立場から他の事象を眺める事で得られるものについてのお話をします。 

 

 ちょっとテーマが分かりにくいですが、このブログで紹介した単語で説明するならフレームの上手な使い方ですかね。「自分はこのフレームで物を見ている」という自覚をもって色々な事を眺める事で、一見関係しない所から有用な気づきを得られるという事です。 

 

 

 私は空手以外に武術関連で色々と調べるのが好きな方です。最初に空手を習っていた頃は他の流派の事も分からずにいましたが、個人的第二次空手ブームである大学の浪人中はネットで調べられるような範囲とはいえ、古武術の身体操作法やら中国武術だの色々と手を広げて情報を読み漁っていました。 

 

 その頃は漠然と「空手にはこんな系統分けがあるんだ」とか「中国武術は凄いのは分かるが理屈はよく分からない」とか「剣術はすごい」とかその程度でした。自分の中にフレームが無いので何が大切なのかを掴むとっかかりが無かったのです。 

 

空手を再開して多少なりとも私が所属している会派の理論が入った事で他の武術を見る目が変わりました。 

 

 空手に関して言えば他流の型の動きを見て「ここは自分の所と同じ理論ではないか」や逆に「動きは近いが別の理論で力を出しているようだ」のようなより精度の高い比較が出来たり、流派による足幅の違い等の理由に自分なりではあるにせよ納得のいく理由付けが持てる様になりました。 

 

 そこから更に裾野を広げて、中国武術等に関しても套路の注意点の解説を見てそこから自らの空手に活かせそうな要素が取り出せるようになりました。 

 

 具体例を挙げると最近見つけた八卦掌という武術の動画を見て気づきがありました。走圏という套路の最初に行っている立ち方が背筋を伸ばした状態で膝を沈み込ませるのですが、その状態で足を広げればナイハンチ立ちになるのではないかという仮説を立てて練習してみました。 

 

 体感としては結構よさげです。勿論ナイハンチ立ちの稽古で本来は事足りるものなのですが、違った観点で見つめなおすことでまた個人的な理解の上では精度が上がりました。 

 

 要するに私の中にある「空手の理論」というフレームで他流の空手や他の武術を見る事で自らの成長につながる要素を拾い上げている。という事になります。 

 

 これはちょっと今までの記事で書いたフレームの使い方とは違った用法になります。過去の記事で紹介した方法はフレームをいくつも使い分け、一つの物を多角的に見るという手法でしたが、今回は逆で一つのフレームを使って様々な物を見る事で要素を取り出しています。 

 

 意外とこれは悪くないです。たくさんの確固たるフレームを持つというのも中々に予備知識の分量が前提となるため難しい所が有るからです。それと比べれば一つのフレームで広く見渡すことの方が簡単な場面は多いでしょう。 

 

しかも広く見渡せば見渡すほど要素はたくさん取り出せるので上手くすればそれが新たなフレームを形作りたくさんのフレームで多角的に見る手法に繋げられる可能性もあります。 

 

ただし、この一つのフレームで広く見渡す手法は注意しなくてはいけない重大なポイントがあります。それは傲慢にならない事です。 

 

空手に限らず他の武術に関してもたまにフレームが傲慢というフィルターに染まっている人はたまに見受けられます。 

 

「あの武術にはこの技法が無いからダメだ」とか「あの流派の秘伝はきっとうちの流派にあるこの技法だろう」といった事を言い出すんですね。 

 

違いにお気づきでしょうか?傲慢に染まっている方は広く見渡しているようでいて実質的に自分の持ち物しか見ていない視野狭窄に陥っているのです。何一つ良い物は得られていません。 

 

 この間違いに陥らない為に必要なのは謙虚さと相手への敬意です。あくまで自分のフレームで他流を見ても相手の全てを理解できるはずは無いのです。 

 

 自分の理解できる良い所は取り出し、分からない事は出来れば聞く。聞けないのなら深追いせずにまだ自分の理解できない範疇の事があると素直に認めるのです。 

 

 「自分も良い物を持っているがまだ他にも良い物はたくさんある」そういった心持で行きましょう。見える景色も楽しい物になりますよ。