今回は最近の記事でもちょくちょく話題に挙げている無意識の働きについてのお話です。

 

 無意識という言葉を聞いて皆さんはどのようなイメージを持ちますか?辞書的に言ってしまえば意識不明の状態も含まれてしまいますが、概ね「考えていないのに体が動く」といったことを思い浮かべるのではないでしょうか。

 

 さらに「考えていないのに体が動く現象」と言われると、ボーっとしているときにしている行動の様なイメージも浮かぶかと思います。

 

 言葉通り日頃意識に上がらないからこその無意識なのですが、実は深堀りしていくと、私たちの思考、行動は大部分をこの無意識に任せている事が分かります。

 

 例えば、歩くこと一つとってもそうです。皆さんは基本的には歩く時に、「右足を出しつつバランスを取るために左腕を出して、重心を前に持っていきながら今度は左足を…」等と考えながら歩くことはない筈です。

 

 逆に言えば普段意識しないことに注意が向いてしまうと困ることもありますね。

 

 ある漫画で寝ようとした時に目をつぶった時に眼球がどこを向いているか、舌はどこが定位置だったか、呼吸はどれくらいの深さだったか等々普段意識しない事がどんどん気になってしまって逆に寝れなくなるという話がありましたが、思い当たる節はないでしょうか?

 

 バランスをとって「ただ立つ・歩く」だけでもロボットに同じことをさせようとすると生半可なスペックでは処理が追いつかず倒れてしまいます。

 

 最先端の成果によってようやくそれが可能になってきてはいますが、何万年も前から人間が簡単に行っている処理の再現にそれほどのテクノロジーが必要なのです。

 

 さて、無意識の処理は必ずしも最適な効果を挙げているとは限りません。姿勢1つとっても猫背になってしまったり、左右に傾いたり曲がってしまったりと、変な形でも「一応ヨシ」と癖がついてしまうことは多々あります。

 

 それどころかそれが楽だと勘違いしてしまう事すらあります。悪い姿勢は頭の重みが前後に偏ったり、腰や首に負荷を掛けるのにその姿勢に慣れきってしまうと自然とその形に収まってしまうのです。

 

 こうなってしまうと背筋が伸びた本来なら最もバランスが取れているはずの姿勢を意識して維持しないといけなくなり、気が緩むと元の悪い形に戻ってしまいます。

 

 意識だけではなく、悪い姿勢によって本来使うべき筋肉が使われず衰えてしまう悪循環も起こります。

 

 さてこういった状態を打破するためには任意の動きを意識に上げると言うことも必要になってきます。

 

 先に挙げた例のように歩くのに必要な動作を全て同時に意識に上げることは混乱を招きますが、例えば足の運びだけ、手の振りだけ、といったように任意の部分をピックアップして動作を確認し、またそれを無意識に返し、別の部分を意識に上げるのです。

 

 これは一種の抽象化ゲシュタルトの構築にも近い概念です。抽象化したポイントで観察したり組み上げたゲシュタルトの単位で確認したりすることでパフォーマンスが上がります。

 

 こういった事は私が今所属している空手の師範も似たようなことを仰っています。

 

 重心の移動や骨格を揃えるといった事を型や練習を通して無意識に落とし込むことで組み手や、とっさの時に体が少ない情報で的確に動くようにする。という事です。

 

 そうすることで、戦況の観察や次の行動を決めることに脳のリソースを割くことが出来るのです。

 

 この無意識というものは例に挙げた寝る時の悪循環のように疑いが浮かんだ時が最も働きが悪くなります。半端に意識することで結果として何がなんだか分からなくなるのです。

 

 無意識意識は自在に切り替えられるように心がけましょう。