皆さんは天才という言葉に憧れを抱きますか?私はかつては憧れていましたが、今ではそれほどではありません。必ずしも才能が自分の可能性を広げてくれるとは限らない事を知ったからです。

 

 今回は才能と自分らしさの関係についてです。

 

 グーグルで才能と調べると「ある個人の素質や訓練によって発揮される、物事をなしとげる力。」と出てきます。また辞書によって「物事を巧みになしうる生まれつきの能力。才知の働き。」であったり「物事をうまくなしとげるすぐれた能力。技術・学問・芸能などについての素質や能力。」とも説明されます。

 

 辞書によっては後天的なものも含むニュアンスを含むものもありますが、一般的なイメージとしては先天的なものを指すことが多いのでは無いでしょうか?

 

 先天的な才能はイメージ通りのやってみたらすぐ出来たというようなものもあれば、好みや楽しみがその対象に向いているため反復するうちに能力が向上したというものもあるでしょう。もちろん複合パターンもあるでしょう、ちょっとやって出来たことが楽しかったり、周りから褒められたことが原体験となってのめり込んで能力が向上するのです。

 

 何れにせよ秀でたものを持っているということはそこに自分の存在意義があるように思え、その才能を中心に人格が形成されます。自分自身で楽しいことがあるからのめり込むこともあればその能力によって周囲から評価されることもモチベーションになるでしょう。才能が自分らしさを作るのです。

 

 私はここに一種の危うさを感じます。

 

 自分自身にとって楽しいにせよ、周りの評価が得られるにせよその事象しか見えなくなってしまう可能性が高いのです。

 人を気にしない才能の伸ばし方ならばただ自分の世界に埋没してしまったり、周りの評価がモチベーションになっている場合は周りの人が喜んでくれるラインで満足してしまうということです。

 

 人を気にしないパターンは取り組む事柄への多角的な視点を減らし、周りの評価をモチベーションとするパターンはそこで形成された自分らしさから外れることを嫌うというようなネガティブな効果も起こりうるのです。

 

 具体的な例を見せましょう。私はお笑い界の裏話的な話が好きでYou Tubeでカジサックさんの芸人さんとのトーク企画をよく見るのですがそこで現れた実例です。

 

 

 34:00〜の話でNON STYLEの井上さんの話になっています。井上さんはテレビでの立ち回り方や自分の見せ方が上手く、また声のトーンの幅が広い等の喋りの仕事での強みを持っています。

 しかしそれに対して石田さんは「声だけで勝負できてしまうのは逆に彼の弱みかも知れない」という趣旨の発言をします。そこだけで勝負できてしまうが故に他のスキルを学ぶ必要性を感じていないのではないか?ということです。

 他にも井上さんの新しい面を見せようとするネタに難色を示したこともあったそうです。

 

 念の為断っておきますがこれらは石田さんやカジサックさんの井上さんに対する愛情から出た発言であり、単なる批判の意図では無いということはご理解ください。

 

 このエピソードから見えるのは石田さんやカジサックさんから見てまだまだ出来る、もっと魅力を引き出せると感じている事に対して、井上さんが自らのブランディングもあるとはいえNOという答えを現在は出しているということです。

 

 私は1人のお笑いファンとしての視点ではとてももったいないなあと思ってしまいます。新しい可能性があるならとても見てみたいです。

 しかしこれはあくまで一意見、変わったら変わったで今までの姿が良かったのにという意見も当然出てくるでしょう。

 

 以上のような考えを元に、私は才能にも二面性があるなと感じました。

・自分の個性、拠り所になる力

・自分の可能性を縛り付ける力

 です。もちろん程度の強弱があります。バランスの問題です。

 

 この視点を持つだけでも才能のなさを嘆いたり、他人を妬む事も無くなると思います。才能云々だけではなく自分の可能性に目を向けましょう。