隣の芝は青い

 

 誰もが知っている慣用句ですね、意味合いとしては自分の物より他人の物が良く見える、他人を羨む心理の喩えです。

 

 皆さんはこの言葉を使いたくなるような事は良くありますか?

 私はあります。なんなら羨ましいと思った物や能力等に対して

「それを自分が持っていたら持ち主より有効活用してやるのに!」

 とすら思ってしまいます。

 

 こういった感情を持った時、実は誰もが見落としがちなのが自分の物に対して正当な価値を見出しているか?といった観点です。今回は人は自分の近くにあるもの程正確に見えていない、というお話です。

 

 

 現在私はビジネス系のオンラインサロンに所属し情報発信系のビジネスに関する気付きのフィードバックやディスカッションをしています。

 初期段階ではオンラインサロンの参加条件となっている講義の受講に関してフィードバックや相談を行う流れになっています。

 

 そしてほぼ最初期のワークとして自分のこれまでとこれからのストーリーラインを書き出すというものがあります。結構これが興味深いんです。

 

 ストーリーラインのプロットは大筋でいうと

これまでの自分

現状から脱却したいと思ったきっかけ

起こした行動

今ある自分

振り返りとこれからの展望

 

 かなり端折りましたがこんな感じです。これも一つのコンテンツになり得るもので、ある種の物語のように読者に働きかけ、特に似たような経験を持つ人は強い共感を覚えるでしょう。

 

 正直自分でこれを書こうと思った時は結構困りました。平凡なんです、私の人生。

 プロフィールにも少し書いていますが大きな不幸もない、そこそこの楽しみはあって人生の彩りは悪くない。上を見れば上もたくさんあるけど下を見れば下もたくさんある。そんな人生です。

 

 そうすると自分のストーリーをコンテンツに、という視点だと凄く弱く見えたんですね。目立った起伏もない。面白みがあるのだろうかと…

 

 オンラインサロンの他の方々のストーリーを見るとどん底を味わったという方も居て、自分の視点から見るとそういう人の方がやはり劇的に映るのです。

 

 しかしそういう方々の投稿を読んだりやり取りをしてみると一つの気付きにたどり着いたのです。

 

 他者視点で良いと思われることに、本人が気付いていない

 

 厳密にいうとこういう傾向になりやすいということです。私という他者の視点から惹かれると思った事象に対してエピソードを挙げた本人が驚く程注意を向けていないことがあるのです。

 

 特に初期段階の人はそういった別視点から観察するマインドや他者からどう見えるかを念頭においた表現に慣れていないので、自分で書いてみて、また人のものに触れることで見えてくることがあります。

 

隣の芝は青い…では隣から見た自分は?

 

 というマインドを持つだけで見える景色が大きく変わります。

 私の場合は自分の経験してきた事の活かし方の幅が広がりましたし、何よりこれまでも楽しんでいた趣味も一層楽しめるようになりました。人生の彩りが視点一つでさらに鮮やかになったのです。これは決して難しいことではありません。

 

 自分の事を見つめる時、適切な評価を下せるようにしましょう。