自分が生まれた頃も
まだまだ泥臭い時代ではあったけれど、
更に昔はどうだったんだろうな?
ちょっと前に紹介しました舞台を観てきました。
東京バビロン演劇祭2017参加作品
bug-depayse 2017年度公演
『使者たち』
http://bug-depayse.org/shisyatathi.html
今日で最終日、千秋楽ね( ^ω^)
アフタートークもありました。

内容、そして感想。
障がい者の方々と役者さんの共同作品、
役者さんの演技そのものはシュールなんですが、
障がい者のお二人(野澤さんはその橋渡しかなぁ、)
も演技だけどリアル、なんだと思う。
障がい者ってこんな感じっ、
障がい者の想いってこんな感じっ、
障がい者の周囲の人ってこんな感じっ、
障がい者の周囲の人の想いってこんな感じっ、
というメッセージがダイレクト、
或いは婉曲的に込められていた作品です。
もう少し話を広げようかな、
自分個人の立ち位置から話をすれば、
実家の近所に特別支援学校(当時は養護学校)があって
重度脳性麻痺児の車椅子の人がいて親が面倒見ていて、
そしてとある公害の被害があった土地柄なんだね、
知り合いの友人が健常者から障がい者になった話
とかを聴かされたりしました。
大体の人が上記のような機会があって
何かものを考えると思うのですよ、
自分と照らし合わせてね。
「自分が事故や病気で障がい者になったらどうしよう」
「結婚して出来た子が障がいを持っていたらどうしよう」
「親や知り合いが寝たきりや障がい者になってしまったら」
と、
泥沼に嵌るような何とも言えない暗澹たる気持ちになると思います。
さてここからが心の処方だ、
自分と障がい者は全く別物だ、
とバカにし笑う人もいるだろう。
それはきっとイメージを自分の中に
入れないようにしているのだろう、と思う。
ヘンな臨場感を産まない為にだね。
ヒューマニズムに反するが
テクニックとしてはね、、
それは正解だと思うよ。
個人的には「同情しても共感しない」、
逆かな?「共感しても同情しない」かな?
俺にはもっと他にやる事があるねん、
だから絶対そっちには行けないよ。
運と知識と努力で撥ね退けるよ。
と抵抗している時点で「恐れ」、
臨場感が湧いてるのかもしれないねww
ま、そういう立ち位置からの観劇という事になりますた。長い。
気になった事、
麟太郎さんの耳が潰れていたので
(要は柔道かレスリングの経験者)
健常者としての時期もあったのかな、と。
「途中から」と「初めから」とでは意識は違うはず。
障がい者、と一言で言ってもその個性と言うか、
レベル、と言って失礼なら差異はいろいろだよな。
それぞれ違うのだろうが何をもって幸せと感じるのかな?
いや健常者の場合、幸せ=生産力に偏る場合が多いじゃない?
ブラックな部分は、まぁしょうがないよね、にんげんだもの。
うーむ、、感想としてはちょっと中途半端かな、
ちょっと書けないかな、という事もありーの、
また思い出したら書きます。






ぬこ。
おわり、おっぱい。
