もう本当にダメな時なんて、きっと考えるっていう余裕さえもないんだろうな。



20代前半の頃の話しなんだけれど、住む家があっても電気やガス、水道さえも止まってしまうという状況になったことがある。ご飯を食べるお金もなく、真っ暗な部屋の中で一人静かに泣いていたことを、たまにふと思い出す。



知り合いにビデオボックスの店長がいて、家がなかった時代に個室の一部屋を内緒で借してくれたことがあった。気前がいい人だったけれど、商品のエロビデオを借りようとすると、それはダメだと本気で怒る人だった。



歌舞伎町にいた小指のない浮浪者は、『人生とは残飯みたいなものだ』と寂しそうな顔で言っていたのを時々思い出す。



大久保のボロアパートに数ヶ月だけ住んだことがある。他の住人はどう見ても訳ありな外国人女性ばかり。ご近所同士愛想を振りまく関係になったのは良いが、歌舞伎町を友達と歩いている時に声をかけてくるのだけはいただけなかった。
外国人が働く風俗店でその女性は働いているらしく、いつも俺は友達に、その店の常連なのかと疑われていた。



お金がなくて苦しくて凄く辛かった時に、少しでも助けてくれた人、手を差し伸べてくれた人、そういう人達に対する恩というのは一生のもの。