他人の目を気にして

他人に嫌われないように

他人に迷惑かけないように




そうやって生きてきたけど




それって

自分のこと、全く見てないんだな、って気づいた、ここ数年。











この記事にも書いたけど




自分には

自分、っていう味方がいるから大丈夫、って思えたら




こんなに安心することはないよね。




今でこそ

この言葉の意味がよく分かるようになったけど




数年前の私には

さっぱり意味が分からなかった。









自分には自分がいる…??

自分は一人だけしかいないのに

どういう意味…??

自分がいるから安心…??

意味が分からない…無気力





なんて、思っていた、と思う。笑








自分が自分を見ていなかった頃は

他人からの承認を得なければ…!!

そればかり考えて必死だった。




だから

他人の目を気にするのは

当たり前だし




他人に気を使うのは

当たり前だった。




それが得られないと

落ち込んで

自分を責めて

自分を嫌いになって




私は一人ぼっちだ…って思って

すごく、すごく寂しかった。




寂しさが

すごく胸の内に巣食っていた。




よく分からない寂しさが

常にあった。




安心感なんて、なかった。




自分のことなんて無視して

頑張るのは

当たり前だった。

 








今なら分かる。




この、常にあった、寂しさは

自分が、自分を見てくれない寂しさだったんだなぁ、って。




自分が

ちゃんと自分に目を向けたとき




自分の内側から

何とも言えないあたたかさが

湧いてきて




なぜだか安心するの。




理由もなく

"大丈夫"って思えるの。










この"何となく"が

自分の中からのメッセージなのかもしれない、って




そういう目線を持ったとき




いろんなところで

いろんなことが

一本の線で繋がり始めて




もしかして…が

やっぱりそうなのかも…になり

やっぱりそうなんだ、と




今は、確信に変わっていて




でも、それを他人に説明なんてできなくて

分かってもらうのも難しいんだけど




分かってもらう必要もないのかな、って

思えて、楽になった。









自分が、自分のことを

一番分かっていたら

それでいいじゃない。









他人に分かってもらおう、なんて

無理な話。笑




私自身も

他人を本当の意味で理解するなんて

無理だなぁ、って

よく分かるから。




理解はしなくていいから

寄り添えばいいよね。




そうなんだね、って

なるほどね、って

あなたはそう思うんだね、って




寄り添えばいいよね。




それが

私が他人にできる唯一のことかな。












結局は

皆、自分を大事にして

自分の声をちゃんと聴いて

自分と目を合わせて生きていけば




それでいいんだろうな、と




それが、一番の調和なんだろうな、と










そんなことを思う日々です昇天