私は

前職の教師を辞めてから




自分のことが分からなくて

自分を知りたい、からスタートした。




その過程で

「子宮推命」と出会った。




一人一人、生まれ持った命式があって

その命式には

今世、何をしに来たのかが記されている、と。




そして

自分の本質とは、どういうものか、を

知れるツールである、と。




初めて、自分の命式を説明してもらったとき

自分の中から

「そうそう!」

「それが私!」って

ずーっと聞こえていた気がする。




自分自身も、納得の嵐だったし

見たくない、目を背けていた自分とも

改めて、出会った、そんな感じ。




そこから、少しずつ

自分、という気質に降参していって




もっと頑張らなきゃ

いい子でいなきゃ

人のためになることをしなきゃ

役に立たなきゃ




そんなものたちを

少しずつ、諦めていった。




自分には向いてないんだな

すごくすごく頑張らなきゃ保てない自分は

違うんだな

もっと肩の力を抜いていいんだな

楽に生きていいんだな

自分に甘くていいんだな

頼っていいんだな

泣いていいんだな

助けて、って言っていいんだな




そんなことを

ほんとに、少しずつやってきて




今がある。




今もまだ

抱えている事、たくさんあるし




自分で自分の首を絞めているな、と

またやってるな、と思うこと

たくさんある。




私はきっと

一歩進んでは三歩下がる、みたいなことを

ずーっとやっているのかもしれないけれど




一足飛びに、何かを得ようとしたって

こわいだけで

バンジーなんて飛べない私なんだから




無理せず

亀の歩みを自分に許して




ゆっくり、ゆっくり

進んで行けたら

それでいいかな、と思っている。











でも

亀の歩み、でも




この3年程の間に

私の内側も、私の周囲も

明らかに変わった。




仕事を辞める前と、辞めた後では

きっと、私自身が別人のようになっていると思う。




この体感があるから

ゆっくりでも、大丈夫

私は私を生きている、と思えて




焦りが減って

気持ちがとても楽になった。

生きやすくなった。














そして

その「子宮推命」で知れたのは

自分のことだけではなくて




家族のことも、だった。




特に、子どもたちのことは

知れてホントに楽になった。




私は、子育てにおいて

母と子、という繋がりばかりに

目がいって




我が子のことは

全て母である自分の責任なんだ、と

思ってしまう癖があって




自分にとって

我が子はとても育てにくい、と感じることが多く




悩みが尽きなかった。




でも、子どもたちの命式を見て

親子であっても

別の人間なんだ

全く違う個性を持って生まれてきているんだ、ということが




ストン、と落ちて




どうにかしよう、とするんじゃなくて

その子が、その子らしく

生きていけるような手助けをしていけばいいのかな、と




そう思えて。




日々成長する我が子とは

ぶつかることも多いけれど




根っこの部分に

その理解があると




悩みや怒りに支配されても

また、冷静になれたりして




悩みのループにハマることも減った気がする。











我が子の失敗

我が子が起こした問題は




小さなことであれば

親である私が謝って




大きなことであれば

我が子と一緒に謝って




その後は

お互い、安心して過ごせる空間を

つくる努力をしていけばいいのかな、って









我が子とはいっても

7歳と5歳、まだまだ小さい子どもたち




今からこんなに悩んでて

思春期、大丈夫か!?なんて

ときに不安にもなるけれど




先のことを考えて

不安に心を傾けるよりも




今を一緒に楽しむことが

何より大事かな、と




そんな風に思える自分になれて

良かったですにっこり












「子宮推命」、すごいニコニコ気づき