9月の事になるけれど、四国への納骨の旅を記録しておきます。
今 松山へ行くのはほとんどがこのタイプの機種。
高度が低めなので天気が良ければ下がよく見える。
5月にお坊さんを送った後、一人で旅した<しまなみ海道>上空。
あの時、夕日が沈むのを見ていたサンセットビーチはあそこだ。
叔母の遺骨を持って 従妹夫婦が東京から来て空港で合流。
ここから先は 従妹のダンナさんが運転してくれるので 私は今回は気持ちが楽です。
故郷まで約1時間。 お昼を過ぎているので 先にランチを済ます。
子供の頃通った学校は 過疎のせいで今は廃校になっている。
そこに 移住してきた人がレストランを出していると同じ村出身の方のブログで知って 行ってみた。
長年 松山で営業していた人気のレストランだったようです。
かつての校長室でドイツ料理をいただく。
納骨の後は 隣の村で同じく廃校になったかつての中学校の寄宿舎が<レストラン兼宿泊施設>になっている。
こちらも同じく 移住してきた方が家族で経営しているそう。
かつてはそれぞれの村に幼稚園から中学校まであったのに 子供の数が減り 統合を繰り返し、寄宿舎で寝泊まりする学生生活になっていた。
私が居た頃は 1学年 2クラスだったのだから 今の都会の小学校より多かった。
部屋に入ると<勉強>に特化された雰囲気が伝わって来る。
参考書を並べて 勉強してみたくなる。
夕食までする事もないので 従妹達とコスプレをして大笑いの時間を過ごした。
ベトナムの民族衣装は細すぎて…チャイナ服で我慢(^^ゞ
ここはベトナムから来た奥様が料理を担う<ベトナム・ハウス>なのです。
料理は少量づづながら どれも美味しかった。
苦手なパクチーが使われてなかったので助かった。
翌朝のベトナムコーヒーも初体験。
昼はドイツで夜はベトナム。 寝る前にも星空観察をしながら 故郷の土になる叔母の事を考えた。
30歳を過ぎてすぐの頃 叔父が急性白血病でアッという間に未亡人になった。
一人娘の従妹はまだ幼く。 一人で育て 嫁に出し 定年まで働いた後 趣味の仲間と自分の愉しみの時間を作っていた。
同じく一人娘の私が両親の介護を担わなきゃならなくなった時には本当によく助けてくれた。
いつもいつも気にかけてくれた。
もう その叔母も居ないと思うと 先が無い気がして来ます。
両親が 自分の兄弟姉妹(私にとっては叔父叔母)と仲良くしてくれていたおかげで 私はずっと従妹達と交流が続いています。
これは前の世代が遺してくれた(財産)です。
夕方の便で 東京・大阪へ帰る前に 別の従妹の家でお昼をご馳走になりました。
山の水でうどんを湯がき、山の幸・海の幸。
この お釜で盛大に湯がくうどんは 以前に里帰りした時に叔母も楽しんで食べたのだった。
あの時の 叔母の笑い声を覚えている。
楽しかった思い出があるのは幸せな事だと思う。
最後に…8月に工事が終わった我が家の(墓じまい)はきれいに整地されていた。
父の句碑があるから まだお墓の様な雰囲気をとどめている。
遺骨はそのまま遺したので、これからも 体力がある間は 訪れたいと思っている。
でも 独りではベトナムハウスもドイツ料理店も ちょっと寂しいかな。
4人で…、納骨の時にはもう一人の従弟も参加して賑やかだったからこそのひと時だったと思う。
変な言い方だけど…楽しかったよ。叔母ちゃん。今まで本当にありがとう。







