早々と喪中葉書が届いている。11月中に届いたら そうか・・・と思って年賀状から外す事が出来る。
早くから年賀状を準備する性質だった友人は 12月半ばに来る喪中はがきに憤っていたのを思い出した。
『牛のヨダレみたいにダラダラといつまでも喪中葉書が来るんです!』と。
牛のヨダレをちゃんと見たコトがないが・・・その表現に笑った。
その友人とも疎遠になっている。
12月を前に 年賀状をどうしようかと ちょっと引っ掛かっている。
出せば<現状維持>。 出さなければ断ち切った事になるのだろう。
<友達>って何だろうな・・・と、今更ながらに思う。
連絡しあうことだけが友達ではない。(・・・と思う)
私にとっての友達。
友達にとっての私。
でも、お互いに何の関心も示さない友達の存在って どうなのだろう。
結局 居ても居なくても同じなのでは・・・?
過去を共有することに今更 何の意味があるのだろう。
25日の新聞のコラムにこんな記事があった。
Kさんは毎朝起きると 畳の上に佇立して 近しかった人で今は亡くなった人を一人づつ脳裏に呼び出すそうです。
顔と名前とが連れ添って出てこないとダメというルールにしてある。
こうして毎朝 100人呼び出すという。
Kさんは98歳で亡くなった方だから 100人はいるのだろう。
試しに私もやってみた。
1日目は26人しか浮かばなかった。
2日目には 30人台になり 今朝は43人になった
これに飼っていた犬や猫も加えたら50のラインを越える。
そして反対に 『生きてる近しい人は・・・』と考えた。
全く音信の無い友達よりも ブロ友さんの方が心の距離は近い。
どちらにしても ちゃんと自分の<意思>を持っての年賀状にしようと思う。
今日はこの畑の事を書くつもりだったのに・・・全然 違うブログになった。
さて。ここで 問題(^^)
この畑の何が変わっているのかな???
