お金の無い老後に備えて | セーラの日記

セーラの日記

まっすぐ前を向いて 2匹の猫と共に

最近 まったく別の古本屋で 同じ人物について書かれた本を買った。

その人物とは 森 茉莉。 彼女については <森 鴎外の娘>ということしか知らない。 何ゆえ 彼女の生誕100年などど言う本が出されるのか これから読んでみる。

 

ただ、共通しているのが どちらにも <贅沢貧乏>という言葉が使われている。

どうやら 森 茉莉さんは 豊かでは無かったらしい。 

しかし、まるでお姫様が明治維新で一人で生きていくことを余儀なくされたような 何とも不思議な無邪気さを持っていた様だ。

 

何より この人について知りたいと思った最大の理由は 本の帯に書かれたこの紹介文。

 

今日はバターも無い。 卵も無い。牛肉も刺身も買い損なったし これからご飯を炊いても おかずが無い。

仕方なく ニューヨーク製のインスタントコーヒーに氷を入れてアイスコーヒーを作り パンを焼いた。

そしてジャムの代わりに 白桃の缶詰を開けた。

そして思った。 『これはアメリカの独身の男の メイドが俄かに休暇を取った日の食事だ』と。  

                                    73歳の時の夕食から

 

どんな風景も この人は魔法のように楽しんでしまうのかも知れない。

質素な食事でも こんな発想で楽しめるなら わるくないと思うのです。


 

イメージ 1

 

 

追加:

<あるHPから 森 茉莉について書かれた部分を一部 コピーさせていただいて紹介します。>

 

森茉莉の晩年30年ほどは、想像を絶するほどの貧乏だったということである。
 どのくらい貧乏だったかということなど書いてもしかたがないことだが、親しかった室生犀星がアパートを訪れて、あまりの貧しさに哀しみをおぼえ、その夜はどうしても寝付けなかったというほどだった。プロパンガスではストーブがつかず、といって電気ストーブを買う経済力もないので、冬場の昼間は湯たんぽを何度も熱くして、彼女の説明では、マルセル・プルーストを気取ってベッドに逼塞するというぐあいなのだ。

 ところが本人はその貧しさを、ぞんぶんに想像力に託して華麗に綴っている。それが『贅沢貧乏』という驚くべき傑作だ。

ともかくも炬燵布団はタペストリーとなり、ただの汚れたコップがメディチ家がほしがったヴェネチアン・グラスの輝きになる。これが魔法でなくて、何なのであろうか。