人がせっかく洗濯したのに・・・油断したワ
この平和な寝顔見てると怒るに怒れない・・・布団を占領されないだけマシかと
本を持って寝間へ行く。
秋になったせいか 急に本を読む気力が湧いて来た。
最近読んで ちょっと面白いと思ったのがこの本。
日本の歴史はほとんどNHKの大河ドラマで覚えてきたと言っていい。
義経と言うとタッキーより<平家物語>の志垣太郎の方が印象深い。
足利尊氏は真田広之。 伊達政宗は渡辺謙。 徳川家康は西田敏行が良かった。 秀吉は柄本明で決まり! 老人になってお漏らしをした秀吉なんて初めてだった。
そんな中で稀代の仏師 〔運慶・快慶〕は今ひとつ解らない。
ウンケイ&カイケイと漫才師の様にワンセットで名前を記憶しているだけ。
それがこの本で初めて、運慶と快慶の位置づけや、なぜ運慶は今までの仏像とはガラリと印象の違う仁王像などを彫ったのかという事が理解できた。
それまでの仏は 穏やかな慈悲を表した信仰の対象であり、主な注文主である公家の要求を満足させるものでなくてはならなかった。
また多くの仏師集団を抱えて生きていくためには 時の権力者に気に入られる事も大事なことだった。
運慶・快慶が生きたのは まさに武家が台頭し そして平家が滅びて、源氏が力を握った変革の時代。
公家好みの品の良い仏像から 武士の好む力強い仏像へ。
平家の色を嫌った頼朝は それまでの京仏師に代わり 奈良で不遇を囲っていた慶派の仏師に光を当てる。 その中に若い運慶・快慶がいた。
運慶は 力強い不動明王や毘沙門天が武士に好まれる事を知り、今までとは違う仏像を作ろうと考える。
しかし、平家が滅びるのをまのあたりに見てきた父は 仏師集団の頭領として慎重にならざるを得ない。 源氏とてやがて・・・と思うと、権力に左右されず、
信仰の対象である仏像を作り続けていくことが自分達が生き残る道だと考える。
こうして 父と対立した運慶は奈良を飛び出していく。一方、残った快慶は・・・
今、京都や奈良 鎌倉に<運慶>の作とされる仏像がどれくらい残っているのか。 それらをひとつひとつ もう一度 歴史と共におさらいして見たいと思った一冊だった。