今すぐ、どこに戻りたいわけでもない。


いや、戻れるなら小中あたりに戻ってみたいけど。




あの頃はあの頃なりに精一杯で頑張ってたんやと思う。







もしも記憶を残したまま時間を逆走できたら。



でもそれはなんかずるい気がする。

フェアじゃない。

ってか皆が皆、そんな生き方してたら。。。

つまらん。

退屈すぎやろ。







だから。


記憶は残したまま、自分自身の決断を見守る傍観者。

そんな存在になれたなら。



自分が過去に決断した事は正しかったのかどうか。


記憶がないにしろ、もう一度同じ事がもし起こったとして、自分はどう決断を下すのか。


それが知りたい。




もしも、二度目も同じ決断を下していたとしたら

それはきっと、自分自身が最初に下した決断が正しいと思える理由になってくれる。

そうでなくとも、自分は何度同じ事が起こっても同じ事を繰り返す、と納得して以降の生活に反映できる。


もしも、二度目はもう1つの決断を下していたら

それはきっと、自分自身が見れなかった未来を知ることが出来る。

その後に意見は出来なくて自分自身は最初に下した決断による未来を生きるとしても。

答えが違っていた場合の未来がどうなっていくのかを知ることが出来る。

その後がもしもどこかで重なり合ってたなら、それが運命なのかと思うことも出来る。


もしも、二度目は全く自分自身が予想もしなかった決断を下したとしたら

それはきっと、自分自身に新しい可能性を見い出せる。

たとえそれが自分自身の意志から創られた未来ではなく、過去の二度目の自分の意志によって創られた未来としても。

自分が想像も創造もしなかった、全く別の、自分自身であって自分自信でない自分が創りだしたモノであっても。

観る事は出来る。


傍観者で充分。










今そんなことを考えてしまうのは逃げているだけなのかもしれない。


でも、自問自答を繰り返した末に出た答え。

それが二つあるとしたならば。


どうしたらいいんだろうか。





時間は刻々と過ぎてゆく

時間は決して待つことはしない

時間は永遠ではない

時間は生まれた時から限られているもの




だから大切に

大切に大切に大切に使わないといけない。




どこでどう使い分けるか


考える時

思う時

行動する時



何がマチガイかなんて進んでみないとわからないけど


考えて立ち止まってるだけではワカラナイ

でも、進んでしまうと戻れない



でも結局は、進まないと意味がない







方向を考えないと。


決意を硬く大きくして、動かないと。






でもまだスタートラインに立っただけ。

ゴールまで、どんなコースかわからない。

地図があれば便利なんだろうけど。

地図がないからこそ、自分で切り拓いていくからこそ、面白いんだと云う人もいるけれど。



なんか。

「ヨーイ」の前に「ドン」がなってしまった感じがする。


これも甘えかな。