うちの子たちは

 

誰も塾に行ってません。

 

こんな子達、塾の先生は扱えないでしょ泣き笑いって思って

 

通わせませんでした。

 

というか、

 

本人たちも全然行きたがりませんでした。

 

 

 

小学校1年生からチャレンジは取っていました。

 

でも

 

どの子もやったのはほんの少しで

 

「もったいない事をした泣くうさぎ

 

って思いながら

 

ため込んだチャレンジを

 

ぜ〜〜〜んぶ捨てました。

 

 

 

 

必ずしも

 

子供みんなに

 

塾や通信教育的なものが合うかっていうと

 

そうじゃなかったりするんです。

 

 

その子その子で覚え方や学び方に違いがあって

 

吸収の仕方、興味の持ち方が違います。

 

 

それを塾の先生に言ったって

 

塾の先生は普通の人だったりするので

 

意味がわからなかったりするんです。

 

 

それが伝わらなきゃ

 

子供は塾が楽しくないし

 

教えられても吸収しないし

 

先生は腹が立ってイライラするし

 

お金と時間を捨てているだけで

 

良いことは1つもありません。

 

 

だから私は子供達を塾に通わせませんでした。

 

 

子供が通いたいと言ったら

 

もちろん行かせていたと思います。

 

でもそんなことは誰も1度も言いませんでした。

 

 

そして得意な部分を伸ばしました。

 

誰にでも苦手なものはあるから

 

苦手な部分を恥ずかしいと思わなくて良いと教えました。

 

得意な部分で苦手な部分をカバーする術を教えました。

 

苦手なものを嫌いにならないように強制的な学びは避けました。

 

 

3人とも自閉傾向があるので

 

好きなものに関してはプロ級になるまでこだわって学ぶような子達だったため

 

その中で苦手なものも必然的に学ばなくてはならなくなって

 

苦手部分に関しても少しは伸びたと思います。

 

 

それで結果的に大学院まで行くことができました。

 

学校以外の学びは基本「自宅で親と」です。

 

親が一番その子の特性を知っていて

 

特性を利用して学習するという形でした。

 

 

 

他の習い事はしていました。

 

スイミングとか音楽関係とか

 

本人たちがやりたいと言ったものはやらせてました。

 

その中から苦手なものをカバーする術も学ぶことができました。

 

 

 

あ、英会話は塾に該当するのかしら?

 

事務のお姉さん以外は日本語の話せない

 

外国人の先生しかいない英会話には行ってました。

 

学校の授業とは全く違って

 

文法とか全然関係なくて

 

初めはジャスチャーや黒板に絵を書いたりしてのやりとりしてて。

 

会話は常に自分たちが興味があることばかり。

 

そのうち英語がわかってきて

 

興味のある部分から海外の文化を教えてもらって。

 

日本のアニメとかコスプレとか猫カフェとか

 

そういう文化に先生が興味を持ってくれて

 

それを一生懸命説明して教えることで

 

どんどん話せるようになっていって。

 

 

そのうち外国人の友達もできて

 

日本にいながら

 

日常英語をすっかり話せるようになりました。

 

 

 

文字に関しては後からの吸収で

 

幼児が言語を学ぶのと同じで

 

まず話せるようになってから文字を勝手に学んでいきました。

 

文法はそれからでした。

 

 

日本の授業って文字ばかりですよね。

 

そして学校で教わった英語って

 

実際外国人は全然使わなかったりするってことも知ったようです。

 

「おはよう」

「こんにちは」

「こんばんは」

 

なんて外国人は実際は分けて使わないんですもの。

 

これは日本の文化に合わせて

 

教科書ができているからなだけで…

 

 

 

あ、これは塾に該当します??どうなんでしょ?

 

私の感覚ではスイミングなんかと同じで

 

遊んでいるみたいに見えました。

 

実際すごく楽しんでしたしニコニコ

 

だから塾カウントではないと我が家では思っています。

 

不登校中も

 

英会話にもスイミングにも楽器の練習にも行ってましたしね。

 

 

 

ちなみに

 

3人で英会話に行って

 

3人で同じ先生に同じ状況で授業を受けていたのですが

 

学びに差ができました。

 

一太郎や三太郎はネイティブな英語を聞き取れても

 

自分からはなかなかナチュラルに英語が話せない状態でしたが

 

二姫は聞き取りも会話もどんどん上達しました。

 

しかも

 

日本人訛りのある英語ではなく

 

非常にナチュエアラルに話せるようになりました。

 

 

でも実は

 

二姫が一番英語が嫌いでした。

 

学校の英語の授業が大っ嫌いで

 

「私は日本人だから日本語だけ知っていればいい!」と

 

中2までそう言って英語をひどく拒否してました。

 

受験のために本当に少しチャレンジで学んだだけで

 

それで高校受験しました。

 

 

英語を話せるようになりたいと言い出したのは

 

高校に入って

 

英語の先生が課外授業で外国人の集まりに連れて行ってくれたことが

 

きっかけになりました。

 

 

結局は

 

中学校の英語の先生とそりが合わなかっただけなんですよね。

 

 

娘は英語がどんどん上達し

 

日本に働きにきている外国人のために

 

通訳をボランティアでやったりして

 

そこをきっかけに外国人の友達も増えて

 

友達から友達を紹介されたりしているうちに

 

帰国子女と思われるほどの英語力になりました。

 

話すだけでなく、文章力も。

 

英語圏の留学経験もな全くないのに。

 

今では友達のほとんどが外国人です。

 

しかも海外に住んでいる友達が非常に多い。

 

でも相変わらず笑っちゃうほど計算は全くできません泣き笑い

 

(現在娘は難病療養中)

 

同じように習っても、教わっても

 

得意不得意で差が出てしまう…

 

 

 

どんなに英語が話せても計算ができない娘と

 

娘ほど英語が話せなくても計算は普通にできる息子たち…

 

 

人生とは等価交換なのでしょうか?

 

そう感じることが時々あります。

 

 

 

 

 

 

なんと

 

前回のブログ更新から3年以上が経ってしまいました。

 

 

読者のみなさまはお元気でしょうか?イチョウ

 

 

私がブログを始めたのは2011年。

 

もう12年前です。

 

 

ってことは

 

当時生まれたばかりの子が

 

小学校を卒業するってことですねアセアセ

 

 

 

 

読者だったみなさまのお子さんも大きくなられて

 

お子さんの状況が変わり

 

親の悩みも変わったり

 

投稿もアメブロではなく

 

他の媒体に動いたりしているかもしれません。

 

 

 

 

我が家?

 

我が家にも大きな変化がたくさんありました。

 

 

みんな無事に大学院を卒業して

 

我が家には学生がいなくなりました。

 

 

長男、次男は仕事に趣味に精を出し

 

社会に溶け込んでいます。

 

 

しかも二人とも

 

発達障害を持っていたり

 

不登校になっている子供たちに関わる仕事です。

 

(娘は現在病気療養中です)

 

 

 

 

 

プロフを見ていただければわかると思うのですが

 

我が家は本当に大変な子育てでした。

 

 

いじめられたり

 

不登校だったり

 

精神的に完全に病んでしまったり

 

 

こだわりがあったり

 

体が弱かったり

 

皮膚が弱かったり

 

 

でも

 

その子その子の個性を理解して

 

個性を長所として扱って伸ばせば

 

短所も長所に変えることができますカメ

 

 

そして

 

社会でちゃんと生きていけるようになります馬

 

 

 

 

自分の子は自分しか守れません。

 

他人は命をかけて他人の子を守ってくれるようなことは

 

絶対にしてくれません。

 

 

親の人生も

 

子供の人生も

 

たった1度だけ。

 

 

だから

 

自分の子を心から愛すこと。

 

自分の子の可能性を信じること。

 

絶対に見捨てないこと。

 

 

でも

 

甘やかさないこと。

 

経験を積ませることを意識して

 

自信が持てるようにうながすこと。

 

 

 

私は

 

「この子が自分を好きでいることができるように育てる」

 

これを目標に

 

小さなことも褒め

 

自分に自信を持ち

 

自分を愛せる子でいるようにしようと心がけました。

 

 

 

発達障害の子は

 

とにかく他者から罵られます。

 

友達だけじゃなく、先生からも罵られます。

 

それでも自分を好きでい続けるということは

 

非常に難しいことです。

 

 

だから

 

親だけはどんなことがあっても見捨てないで

 

小さなことでも褒めて褒めて褒めて抱きしめて

 

「私だけはいつでもあなたの味方」という気持ちを伝え続け

 

その子が自信を失わないよう支えると決めていました。

 

 

 

「私は知っているよ、

  あなたの良いところを全部」

 

私がずっとやってきたことはこれだけです。

 

 

 

周りに何を言われても

 

親だけは信じ続けてあげる。

 

 

それが何よりも

 

子供の心を強くするのだとそう信じて黄色い花

 

 

 

 

 

 

 

竹内結子さん…

 

お子さんを残されて逝くなんて…

 

相当悩まれていただろうな…

 

 

 

私も誰もからも理解されず

 

姑にもあなたの育て方だと罵られ

 

1人悩み本当に辛くて辛くて

 

あなたと同じことを考えたことはあったけど

 

子供は置いていけないと思った…

 

 

「だれか私たちのこの車に突っ込んでくれないか…

 

そしてみんなでいなくなれないか」

 

無関係者を巻き込むような

 

そんな考えが浮かびながら

 

運転している時も多かった…

 

 

 

でもこの子たちは

 

そんなことを望んではいないだろうって…

 

 

私たちの中の誰かだけがもし生き残ったら

 

その生き残った者だけが

 

全ての重荷を背負って生きていくことになるって…

 

それが私であっても

 

どの子であっても…

 

その子の人生はどうなるのって…

 

 

まだそう冷静になれる自分もちょっといたんです。

 

だからなんとか生きていかなきゃって…

 

 

 

 

私が一体何をしたっていうの?

 

この子たちが一体何をしたっていうの?

 

ご先祖が何かしたの?だから私たちに罰を与えてるの?

 

神様、そこにいるのであれば教えてください。

 

 

どうしてうちの子が…

 

どうしてうちの子ばっかり…

 

理解してくれる人はいなくて責められるばかりで…

 

何の償いなのでしょう?

 

 

この子たちはどうやって生きていけば良いの?

 

私はこの子たちより長生きできる保証はないのよ。

 

ねぇ、神様、教えてください…

 

いったい

 

いったい

 

一体何のために…

 

 

 

 

いるかいないかもわからない神様に

 

そんな問いをいつもいつも投げかけて…

 

答えない神を恨みながら

 

必死で毎日生きてきました。

 

 

 

 

 

でもね

 

 

生きててよかったと思います。

 

 

あの時、神が何も答えなくて本当によかったと思います。

 

 

おそらくあの時、神の声が聞こえたら…

 

それは自分の心の声で

 

きっと間違った答えだったから。

 

だって私は神じゃない。

 

 

 

あの時は本当に辛かった。

 

でも未来はわからないもので

 

あの時に想像したものとは今の人生は違ってる。

 

子供達も私自身も。

 

想像していたことより困ったなってこともたくさんある。

 

でも良かったなってことも多い。

 

そしてもっと生きたいなって今は思える。

 

 

私の独りよがりで

 

この子たちの人生を狂わせなくて良かったって。

 

 

 

今はたくさん情報があります。

 

相談場所も増えました。

 

情報が増えた分、理解者も増えました。

 

 

私はお医者さんとは話してはいたけど

 

いつも子供達にあった事実の報告になってしまい

 

自分の話はできないでいました。

 

 

親の会などを立ち上げ運営していましたが

 

相談を受ける側になってしまい

 

自分のことはなかなか話せない状態でした。

 

 

ましてや閉鎖病棟に入らなきゃいけないような

 

そんな状態に息子がなってからは

 

会は他の方に任せていて

 

私自身の参加はできなくなっていました。

 

 

 

地域の相談員もこんな家族のケースを知らず

 

手を打つ方法を知らず

 

 

児童相談所には

 

障害のある子の受け入れはしていないと言われました。

 

家族が疲れ切ってもうダメかもしれない

 

私自身が限界になっている

 

そう言ってもたった1日の受け入れさえも拒否されました。

 

 

そういった場所に相談する時も

 

感情をあらわにしてしまうと内容が伝わらないので

 

常に冷静に事実を話すようにしているじぶんがいました。

 

そしてそんなふうになっている自分に

 

私は気がついていませんでした。

 

そして我慢我慢でどんどん自分を追い込んで…

 

 

 

私が自分のことをお医者さん以外の人に

 

本音で話せたあの日…

 

地域で障害者を専門に相談にのっているという人に

 

相談に行った日…

 

そこは障害者施設脇にある部屋でした。

 

 

その人は私の話を少し聞いて

 

「私じゃないほうがいいですね」と

 

奥の最重度の障害者施設をずっと運営している

 

所長さんを呼んできて…

 

「何でもいいですよ。話したいことから話してください」

 

 

どこから話して良いかわからず

 

まるでとっとちゃんが校長先生に初めてあった日のように

 

あちらこちらの話をして…

 

恥も何も捨ててまとまりのない話を一気にしました。

 

 

最後に所長さんが

 

「1人でよく頑張られてきましたね。辛かったですね」

 

その一言で私の中で張り詰めていた何かが崩壊しました。

 

泣き崩れて動けなくなりました。

 

こんなことは初めてでした。

 

そして崩壊したことですごく楽になりました。

 

そしてまた頑張れる私がいました。

 

 

その方とお話ししたのはその一回でしたが

 

私のパワーになりました。

 

今まで頑張ってもはなかなか動かなかったものが

 

動くようになりました。

 

信じてくれる人も増えました。

 

私は1人ではなくなりました。

 

 

 

 

 

誰かに話すって大切なこと。

 

恥をかいても良い。

 

死のうとしているなら恥なんてどうでも良いじゃない。

 

死ぬ前に恥かいたって問題ないじゃない。

 

 

 

ねぇ、死のうと思っているのなら

 

話してからにしてみませんか?

 

それでも遅くないでしょう?

 

 

恥を捨てて話すって

 

案外世界が変わるかもしれない。