のんびり素敵に生こう♪ -4ページ目

のんびり素敵に生こう♪

誰だって自分が1番大好きだよね。
なのにこんな自分は嫌い!なーんて思う自分が苦しくなっちゃう。
そんな心の浮き沈みなどを書いていきます。

*人によっては重めの記事になります。
いい気分だけを求めたい方はスルーすることをお勧めします。ニコ



ブログあまり書く気になれず、、日にちが空きました汗最近感じる幼少期の感覚、かなり辛く苦しいもので、、けっこうきついです
😣
なので今日は頭真っ白にして、ダラダラ過ごしてました。エネルギー充電です❣️



前回の続き〜

ここ最近の犬の散歩は家の前の公園に行けるようになりました。


以前のような縮み上がるような恐怖感もなくなってきました。


もう徐々にですね。恐怖の感情からは逃げず、環境から逃げる、引きこもるからはじめて、、気持ちが「行ってみよう」と上向きになってきたら徐々に慣らしていくという感じに、地道な作業です。ニコニコ


話し戻して。
最初は投薬をやめたいからはじまり、
次に母親のこと。4月はじめに重なる様な出来事が起こりました
少し前の記事とかでわかると思うけど、母のこと一旦信じたんです。わたし

けど、幼少期の母と変わってないという事実を目の当たりにし、ショックを受けました


楽しいところだけ共有し、弱い部分はバッサリ切り捨てる
弱ってようが関係ない、そんな時でもわたしの面倒はみなさい、という感じの母親

要は人の気持ちってものがわからないんです。愛が欠落してるんです


忘れてた
いや、触れられなかった
家族が壊れる、母との関係が壊れる、そう思うと怖くて言えなかった。今までずっと 

口に出してはいけない、わたしの中でのタブーでした


でもわたしが母にはっきりと言わないといけないのは、ここだとわかった


悲しいけどね、
淡い期待もなくなった
昔も今もこれからも


深い絶望と言い知れぬ孤独感に苛まれるけど、事実は受け入れた


母には言った
抵抗したけど、否定はしなかった
はじめて母に本音をぶつけた
わたしは一歩もひかなかった
45分間電話で言い続けた
お前に人生めちゃくちゃにされたとも言った


そして、わたしの言ったこと、1日でも一カ月でもいいから、少しは考えて欲しいと伝えた


その時はもう、母とこの先どう付き合っていったらいいかわからなかった


今の気持ちは、、
母のこと
かわいそうな人だな、とも思うかな。
けど、向こうが何も変えようとしなかったら、やはり普通には付き合えれない

姿勢の問題


だから、前みたく何も知らなかったかのようにはもう付き合えれない

最低限の用事がある時だけ顔出す感じの付き合い方しか思いつかない、今は



母のやったことは許せる内容じゃない
けど、恨みにするつもりはない
恨みに力を使うくらいなら自分のよくなる方へ力を使いたい

心の奥底には憎む気持ちもまだ宿ってるかもしれないけど
わたしの人生の生きづらさのきっかけを作ったのも母親だけど

けど、それ以外はわたしがつくったものだから
大人になった今はわたしが変えていく作業だと思ってる。



長くなったので
続きはまたパー


























*人によっては重めの記事になります。
いい気分だけを求めたい方はスルーすることをお勧めします。ニコ



お久しぶりです!照れ




いままで記事を書いてきて、どれも本当のわたしですが、今取り組んでる*自分を取り戻す作業*を記録として残したいと思い書くことに決めました。そしてこの記事が、苦しんでる誰かの役に立てれば幸いです。照れ



この数ヶ月の間に本当に色んなことがありました。


かなりはしょって書いちゃいますが、

ヨサコイ辞めました。
嫌なことがあったからです。
今までの仕事辞める時と同じです



よくよく考えればそうなんだ、と気づきました。


現実しっかり見ないで、夢見てたんですよね、無意識に。


ヨサコイで流れる音楽好きでした。心底。



でもいつも一つの事を極める事が出来ないんですよね、わたし。


そうしたくても
出来ないんです

それがいつも悲しかった。


こことじっくり向きあってみました。


今年2月にあれだけ辞めれなかった安定薬が辞めれた。


詳しくはこちら→


おかげさまで、ヨサコイのお祭り3ステージに薬なしで上がれた。まさに奇跡でした。


その時気づいた。


恐怖の感情に薬を蓋がわりにして過ごしてきたけど、



わたしのやりたい生き方はそんなんじゃない

死ぬまで自分ごまかして生きたくない



気づいた以上、残り35年?の人生はわたしで生きたい!


そんな気持ちが出てきたんです。


やれるところまでやろう!と思いました。


向き合い初めてからは、死にそうな程の恐怖感が襲ってきました。




いつもここで負けて、薬を飲んでましたが、、
( 薬自体が悪いわけじゃないですよ!上手くやれるなら飲みながらでいいと思います。)



出てくる恐怖感はそのまま感じておきました。死にそうでしたが…


( ちなみ、現在求職中です )



五感も遮り、いつもの10倍位外の音を拾うし、肌感覚もビリビリしてました。


知ってる人に会えば、下から身体が絞りあげられるような恐怖感に襲われ、心臓がギューッッ!と縮みあがる。



そんな感覚でした。






怖くて外にも出たくない!ましてや人にも会いたくない!気持ちでした


けど、最低限の犬の散歩、ゴミ出し、食料品買い出し、、


独り身なので、ここだけは勇気を振り絞ってやるしかなかったです。




特に犬の散歩ほ辛かった…
知ってる人に会って声かけられたりが...


逃げたくても逃げられない状況が本当辛かったえーん



ただでさえ自分の怖さでいっぱいいっぱいなのに、話かけられたら、こんな状態で喋れん、人のことなんて見れん、聞けれん


けど、普通時の私のイメージが、、と

もがく


そんな状態で接してました。



いつもと違うわたしの異様な雰囲気に、相手も顔がこわばってました滝汗


だんだん人と喋らなく、引きこもりました。


だって怖いし、気持ちはそれどころじゃなかった



犬の散歩も知ってる人と合わなさそうな場所にルートを変えたり、、


暑くなってきたから、車を出して遠くの大きな公園に散歩場所をかえたりしました。


けど、それが私にはよかったみたいです。


例えば、怖かったら普通逃げるでしょ?
私の場合、怖いところに留まろうとする人でした。



怖いのに、逃げずに、怖いと思う場所で何とか自分を守ろうとしたり、成長しようともがいてたんです。



これ、後から気づいたんですが、

わたし、母から虐待うけたり、放置されたりのそんな扱いをうけてきたんですが、


そんな中で生き延びようとする幼少期のパターンだったんです。



長くなるので、いくつかに分けて書きますねパー






















感情は命。感覚も命。
生命と思うものだけが生命ではない。

全部繋がっていて生かされている。

1人では生きられない。
1人にはなれない。

もし1人というのなら、もうこの世にはすでに居ない。
存在していない。


ここに居るということが、1人で生きてないという証。



神様が全て調整している。


この世界が存続するように
全てを使って補い合って生きている。


例え理不尽と思うことであっても。




だから自分で死ぬことすらできない。

それは同時に、神様に守られて生きているということである。


極端な話
息を吸っている。立っている。

いる、と思えてることがすでに喜びを感じているということ。

普段の日常、当たり前のことですら当たり前ではない。


この世界は結局、
愛と喜びのエネルギーでしか創られていない。




最近こんなことを思うのだな、。

だからどんなことがあっても、
ここに帰ればいいのかな、と思う、し、
そう在りたい。


私の世界でのひとり言でした。(*´ω`*)