俺の夜遊び雑記帳~いつもお世話になっております~

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27年間の夜遊び(風俗・オッパブ・たまにキャバクラ)での出会いと別れを徒然に。

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“高橋みなみさんと中西里菜さんのこと”本編はこちら



振り返ればどんな事も人生のほんの一瞬
過ぎない時はない
前へ前へ♪♪



2013年4月8日、高橋みなみさんが自身の誕生日に際して書いたブログ記事の一部である。目にした俺は、これは中西里菜さんにあてた「エール」に違いないと感じた。

いてもたってもいられなくなった俺は、高橋さんのエールが中西さんへ届くことを願い、急遽前回のブログ記事を書いた~消息が不明と言われていた中西さんが、穏やかに幸せにすごしていることも祈りつつ。


それから2ヶ月あまりが過ぎ…俺の願いは、叶った。


先日(6月13日)、やまぐちりこさんのブログが491日ぶりに更新された。「今までありがとう。」というタイトルのその記事には、「多分、これが最後の更新になると思います。」と書かれていた。


記事の前半部分には、彼女がいままで経験してきた苦悩、葛藤が綴られていた。


いまの自分になるまで
本当に時間がかかりました。
楽しかった時間もあるかもしれないけど
それ以上に何百倍も苦しかった
本当に苦しかったです。
どうやったら夢が叶うのか
どうしたらいいのか、
ファンの方を裏切りたくない気持ち
いろんな感情が、いろんな思いが
いつも私を邪魔して消えてしまいたかった



支えてくれた家族や友達への感謝を述べた後、さらに、彼女は続けた。


こんなこと書いたら怒られるかな……
だけど自分の本音を書けるのは
ここしかないので許してください。

謝りたい人がたくさんいます。
ごめんなさい。

会いたい人がたくさんいます。
わたしは今も変わらず大好き。

夢を叶えたくて入った世界、
頑張れば頑張るほど
わたしの気持ちとは
違う方へ進んでいきました
途中で引き返せないぐらい
あっというまに時が進み
頑張るしかなかった
むなしかったです



夢と現実、光と影、表と裏…彼女はきっと、俺の想像を絶するような苦しみと対峙し、闘い続けてきてきたに違いなかった。胸が苦しくなった俺は、読み進める目を一旦閉じ、無言のまま深いため息をひとつだけついた。


そして、気を取り直して再度読みはじめた俺の目に飛び込んできたのは、彼女の力強い言葉だった。高橋さんのエールに対しての答えが、そこにあった。



だけど、もう大丈夫。

前に進む。





時間はかかったかもしれないけれど、彼女は自信をもってしっかりと、高橋さんのエールに応えてくれたんだ…俺は開けたばかりの目を再び閉じ、傍らにあった“鼻セレブ”でそっと目頭を押さえた。


更に彼女は続けた。


やっぱり頑張った子が報われてほしい
そんな人を見ると自然に応援したくなります。



おそらく彼女は今回の総選挙の中継を見ており、その結果をふまえた言葉ではないか?確かではないが、俺はそう感じた。中西さんはテレビの前で高橋さんを応援していたのかな?ひょっとして同郷の彼女のこともかな?…俺は勝手に想像(妄想)し、パソコンの前で一人不気味に(爆)微笑んだ。



そしてブログの後半には、彼女の嬉しい近況が報告されていた。



いま結婚して、幸せに暮らしています。

私、超~~~元気\(^o^)/

今、とっても幸せです。


夢が叶えば幸せだと
あの時は思いこんでいたけど
いろんな事が幸せだと感じる今、
幸せの形が変わってきました。
これから先、
たくさんの幸せをもっとみつけます☆




悩みや苦しみを経て、中西さんはかけがえのない宝物を手に入れた。それは、もちろん中西さんのパートナーでもあり、また「いろんな事が幸せだと感じる」力でもあった。
俺にはその事が、とても嬉しかった。


りなてぃん、おめでとう!本当に本当に、よかったね…俺は心から祝福したい気持ちだった。

ブログを読み終えた俺は、Chocoloveの「明日は明日の君が生まれる」を聴いた。りなてぃんを代表するといえるこの曲。過去何十回、いや何百回と再生しているはずなのに…改めて視聴すると、今までにないぐらい痛いほど胸に染み入った。それはあなたが文字どおり、長い夜を越えて前へ進み、明日を迎え入れたからに違いなかった。




たったひとつの空しかないよ
どんなに世界が広くたって
大事な人とはぐれた時
見上げる者を勇気づける
今日まで歩いて来た道
今はふたつに分かれてる
涙は また会う日の
心のしるし

明日は明日の君が生まれるよ
長い夜を越え
陽が昇るように
夢の続き
すべて捨てて
両手を広げよう





「りなてぃん、こちらこそ、今までありがとう。」
俺は久しぶりに見えた星空を窓から見上げながら、そっとつぶやいていた。





【補足】

中西さんの結婚に関して…先日の総選挙で卒業を表明した篠田麻里子さんが、彼女に対して祝福の言葉をツイートしていた。

仲間が結婚してた(^-^)おめでとう、幸せになってね。
まわり道たくさんしたのかな、幸せの報告ブログで拝見したよ(^-^)
見てるかわからないけどここに書きます!
みなみと喜んでます。おめでとう!!



いくら卒業がきまったとはいえ、中西さんに対してのツイートをするにはかなりの勇気が必要だったのではないだろうか?…それでも、彼女への祝福の言葉を「高橋さんと喜んでいる」ということも含めて発信してくれた篠田さんは本当に素晴らしいと思うし、心から感謝したい。
俺は、篠田さんと高橋さんが一緒にりなてぃんのブログを見ながら喜んでいる様子を想像した。いつか3人で会う日が来ればいいのにな…そんな夢を、ついつい描いてしまった。



俺は、チームA 4th Stageでりなてぃんと篠田さん、佐藤由加理さんの三人が歌っていた「帰郷」も聴きたくなった。そういえば、りなてぃんが卒業したあと高橋さんがかわりにルフィー役(笑)に入ったときがあったけど、それもまた頑張っていて可愛かったよな…俺はそんなこともまた、思い出していた。




ああ しあわせ
明日からまた歩く
離れてても
胸の奥に
いつだって この道は続いてる

ああ しあわせ
みんなに見守られて
きっと 今も
一人じゃない
振り返れば
故郷の空

振り返れば
故郷の空


(この項終わり)
今回ちょっと思うところがあり、芸能ネタを書いてみました。




昨日8日は、AKB48・高橋みなみさんの22回目の誕生日だった。高橋さんと言えば現在AKBの総監督。努力を惜しまず、かつ人のために進んで仕事をする…そんなAKBの支柱的存在として知られている。

そんな彼女は、今月3日に「Jane Doe」でソロデビューを果たした(俺のアメンバーである琴羽さんの3月30日付け記事「Jane Doe(*´艸`*)」にも彼女のYouTube動画がUPされている)。そしてそれに合わせてだろうか、彼女は今月より、新たに個人ブログを開設した。

関係者の方々、AKBの仲間、そして握手会に集まったファンのみなさん…各方面からデビューや誕生日を祝福されている高橋さんの様子が、ブログには多数UPされた。他メンバーの方のブログにも彼女の誕生日を祝福するメッセージが数多く寄せられており、彼女の人望の厚さがうかがえた。

そして昨日-誕生日当日。UPされた「22」というタイトルのブログ記事には、誕生日を迎えた彼女自身の思いが書き綴られていた。

この記事については複数のメディアでも報道されていた。しかしそれらは専ら彼女がブログに記した「いつからだろう 私はメンバーじゃなく スタッフになっていた」という文言をとらえたものが多いようだった。



俺は彼女のブログ記事を何気なく読み進めていくと、以下の部分ではたと目が止まった。


この22才の1年間にどんな事が起こるかはわからない
凄く嬉しい事
凄く辛い事
笑って、泣いて
色んな事が起きるだろう

その全てを楽しもう
振り返ればどんな事も人生のほんの一瞬
過ぎない時はない
前へ前へ♪♪




彼女らしいポジティブな決意表明だな…そう感じる人も多いかも知れない。しかし、俺の受け止め方は少し違っていた。

そこには、かつてのAKBの同期、中西里菜さん(りなてぃん)に向けて彼女が送ったエールが、確かに含まれている…俺にはそう思えてならなかったからだ。俺の目頭はたちまちのうちに熱くなった。



中西さんがAKBに所属していた頃、一番仲がよかったのが高橋さんだった。しかし2008年11月に中西さんはAKBを卒業。その後の詳しい事情は解らないし俺の知るよしもないが…2010年8月、中西さんは芸名を「やまぐちりこ」に変えプロフィールも変えて、衝撃のAVデビューを果たす。それは、彼女が今の高橋さんと同じ、22歳になって間もなくのことだった。

俺は当時、個室DVD「ひまつぶしパラダイス」に彼女出演のDVDを持ち込み、様々な葛藤のなか複雑な気持ちで鑑賞をした。はじめは途中で胸が詰まり、通して観ることすら出来ず、ましてや使用など言語道断だった。後日改めて、意を決した上で謹んで使用させていただいたことを覚えている。

その後やまぐちさんはアリスJapanとSODあわせて、約15本の作品に出演。その売り上げは驚異的なものであったと聞く。しかしそれと同時に、体調不良説や精神不安定説もしばしば噂されていた。


そんな中やまぐちさんは、2012年2月8日付の自身のブログで自ら歩んできた道を振り返るような記事「あったかーい飲み物☆」を書いた。そしてその記事の後半部分には、こんなことが書かれていた。




『いまに負けないで』
そう伝えたい大切な人がいます。

でも伝える方法がないから
このブログをみてくれてる事を信じて

あなたにとっては
私は過去のひとだと思います。

でも
私にとってあなたは
あの時と変わらず大切な人です。

立っている場所が違うだけで

わたしは
いまでも大切に想っていて
大好きです。


ずっと変わらないと思う

会えないし声も聞けない
だからとても心配です。

お願いだから今に負けないで…

あなたの笑顔にたくさん
救われたから
がんばることができて
乗り越える事ができて
いま笑えています

ありがとーって顔みて言えたら
いいのにな



わたしにとって
大切だった人っていうのはありません。

いまでも、これから先も
ずっと大切な人です





直接誰あてとは書かれてはいない。しかし、当時マスコミで肉親のスキャンダルを取りざたされていた高橋さんへの、メッセージとエールであることは明らかだった。

当時、戸賀崎劇場支配人が、ある人がこの記事について言及したのに応えて「嬉しいね。仲間だもんね。」とツイートしたことが話題にもなっていた。しかし…当然と言えば当然だが、高橋さん本人からのリアクションが明らかになることは無かった。

この記事の最後は「また更新するね」で締めくくられていた。しかしこの日を最後に、やまぐちさんのブログは更新されないままになってしまった。その後間もなく、やまぐちさんはひっそりと業界を引退した。




俺は高橋さんが個人ブログを始めたと聞いたときから、きっと高橋さんのことだから、いつかブログ上でやまぐちさんへのメッセージを返すに違いない…勝手にそう考えていた。そして、やまぐちさんからのエールを受けてからちょうど14ヶ月後の昨日、その日がやって来た。

俺は改めて高橋さんの律儀さ、優しさ、素晴らしさを実感した。



はたして中西さんは、高橋さんのこの記事を読んだのだろうか。

俺は信じたい…きっと読んだに違いない。高橋さんのブログに込められた想いは、きっと中西さんに届いたはずだ。
“振り返ればどんな事も人生のほんの一瞬だから、過ぎない時はないよ。道は違ってもお互い、前へ進んでいこうね”と…



ところで高橋さんと中西さんは、当時「まさかガチ?(笑)」と言われるほど仲が良かったらしい。俺は久しぶりに“禁じられた二人(たかみな&りなてぃんバージョン)”をYouTubeで視聴した。






年のせいで涙腺が緩くなってきたためだろうか、パソコンの画面は涙ですっかり霞んでしまった。

りなてぃん、あなたの大切な人は、本当に素晴らしい人ですね。あなたもどうか幸せに、穏やかにすごしていて下さいね-俺は心から、そう願っていた。








キャバクラやオッパブでたわいもない話をしていると、時折女のコから「芸能人のコで誰が好き?」と尋ねられることがある。

数年前は、全然テレビを見ていなかったこともあり、正直詰まってしまうことが多かった。今では一応しょこたん(中川翔子さん)か、AKBなら柏木さんとか篠田さんと答えるようにしている。

しかし、実際にはライトな好意を抱いているのみであるから、本当にコアなファンの方に対しては、何となく申し訳ない気持ちにもなる。

しかし約20年前までは違った。俺は好きな芸能人を脳内で順位付けしており、大体5位までは即座に言えたものだった(まあ、そんなにコアなファンではないが…)。

今回ふと思い立ち、俺の今までの人生で“ファンだった”と言える女性芸能人の方、歴代ベスト10を選定し、下に列挙してみた。



自分なりには納得しているのだが…多少、他の方とは違ったラインナップかもしれない。



10位:帯淳子さん

帯さんは、1978年~1984年にかけて、NHKで18時から放送していた子供番組「600こちら情報部」で、司会をやっていた。俺が中学生の頃は、そのかわいらしい笑顔を見るためだけに早く帰宅したこともしばしばあった。


9位:相本久美子さん

相本さんは、日本テレビで日曜にやっていた故・土居まさるさん司会のバラエティー「TVジョッキー」で、アシスタントをやっていた。奇人変人コーナーにでてきた巨乳のかたや馬面のかたに、参加賞としてギターとジーンズを渡していた。かわいかった(^^)鶴光のオールナイトニッポンでの名前をもじったジングルには、怒りを覚えたこともあったf^_^;


8位:篠原ともえさん

一見騒がしいように見えるが、その裏側にみえた優しさや繊細さが好きだった。台湾のホテルでの飲酒だか奇行騒ぎがあった時は、真偽の程はともかく胸を痛めた。最近は落ち着いた綺麗なお姉さんになったが、それもまた良い。


7位:白石まるみさん

週間プレイボーイのグラビアで好きになった。発売したシングル「オリオン座の向こう」は名曲だと思うが、残念ながら全く売れなかった。ニャンチュウがでている子供番組(母と子のテレビタイム)で、確か石川ひとみさんの次あたりに司会をしていた。素敵だった。


6位:酒井法子さん

実は、初めてのヘルスで好きになったカオリさんによく似ていた。カオリさんがいなくなった後、その影を追うようにノリピーのファンになり、CDや写真集を揃えた。
ファンだけに、逮捕前にも既に変だな…と思っていたが、案の定だった。どうか立ち直ってほしい。


5位:糸川蛍子さん

昔は「野中早百合」という名前でアイドルだったが、途中で民謡+演歌路線に変更して、南伸介の凸凹大学校(東京ローカル?)の「エスチャー」というコーナーで、上手なマンガを披露してくれていた。また、TBSラジオ「歌うヘッドライト」金曜日のパーソナリティーをしていて、エンディング「夜明けの仲間たち」も歌っていた。最終回は涙した。
その後間もなく引退、結婚されたときいた。エクボがチャーミングだった。


4位:斎藤慶子さん

JALのキャンペーンでさわやかな笑顔と小麦色の肌に魅了された。まだ高校生で行く気もないのに旅行代理店からパンフレットをガメた。その後はヘイグ(ウイスキー)のカレンダーや写真集、スコラのグラビアなど、お世話になりありがとうございました。
決して「魔性の女」ではなく、むしろ優しい方という印象だった。


3位:富田靖子さん

大学時代、部屋にポスターを貼っていた。またテレカも集めていた。静かなファンだった。映画「アイコ十六歳」のでの靖子さんは、まさに天使だった…と思う。


2位:石川ひとみさん

NHKの「プリンプリン物語」での声の役&主題歌は素晴らしかった。週間プレイボーイ、平凡パンチ、GOROのグラビアとピンナップはまだ保存している。まちぶせで紅白歌合戦に初出場したときは、家族とは別のテレビの前に正座して「ひとみ、頑張れ!」と画面に向かって叫んだ。その後肝炎を発症したが克服、今も現役で歌手活動を続けていらっしゃる。自分も彼女を応援しつづけている。


王冠21位:木ノ葉のこさん

自分が唯一ファンレターを送った方である。毎週見ていた日本テレビ「うわさのチャンネル」で、その面白いキャラクターとチャーミングな顔立ち、意外と真面目な雰囲気にファンになった。
彼女が出演した映画「遥かなる山の呼び声」は何度も観たが…彼女が「山田洋次監督が大好きなんです」と言っていたのを知り、当時のバカな俺は山田監督にジェラシーを覚えていた。
彼女の唄「サーカス」は可愛くて切なくて自分は大好きだが、彼女自身は「下手くそで恥ずかしい」と言っていた(のこさんが故・秋山武史さんとやっていた「のこのラブリー10」という深夜番組でそう言った)。
週刊プレイボーイのモノクログラビアは2年間下敷きに挟んで、ことあるごとに見ていたし、マルベル堂にブロマイドも買いにいった。
のこさんはその後摂食障害に苦しんだが克服された。それについてのこさん自身が書かれた本「私を救ってくれた小っちゃな幸せパワー」は正座して読ませていただいた。
現在は、有り難いことにブログでアクティブな生活ぶりを垣間見ることができ、自分も応援させて頂いている。




 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
今年の5月下旬にブログを始めさせていただきました。
それ以来、当方の拙いブログを読んでいただき、暖かく接してくれた皆様には感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。

更新も飛び飛びとなっており申し訳ありませんが、もしよろしければ、来年もよろしくお願いいたします。


たっくたく
2002年の末、俺はKちゃんと過ごした一年以上の日々にピリオドを打った。その直前俺は、「もしKちゃんが俺に連絡を取りたくなった時に、旦那(になる人)に感づかれないようにしよう」と彼女に提案し、俺の携帯のアドレスを、Kちゃんや俺のイニシャル等を含まないものに変えた。そして彼女はそれを女性の名前で自分の携帯に登録した。

それから8年以上…俺はKちゃんからの来るはずもないメールに備え、携帯のアドレスを変えずにいた。どんなに迷惑メールが来ても変えることはなかった。その日までは…


2011年5月中旬の日曜日。新宿の某デリヘルで俺についたのはモエカちゃん(21歳、仮名)。入店してまだ2日目だった。

フリーで入り、受付で「比較的待ち時間が少ないのはこのコとこのコと…」といって出された3~4枚の写真、その中から選んで決めた。可愛いがどことなくぎこちない微笑みの彼女は、いわゆる完全業界未経験(風俗の経験は体験入店も含めて過去に全くない)だった。

受付から歩いて3分ほどの場所にあるラブホテルに入り、待つこと約20分でノックの音と共に彼女がやってきた。

彼女はスリムで小柄、かなり緊張した面持ちだった。俺はTVをつけ(AVではなく地上波)、お笑い番組を一緒に見た。画面ではちょうどザキヤマが濃いギャグをかましていたが、彼女はザキヤマが好きらしく、それを見てかなりリラックスしたようだった。

彼女は21歳で、ある専門学校の2年生だが、通うのは3年目だという。実は彼女は諸般の事情で留年してしまい、1年下の後輩と一緒に半年通って、取り残した単位を取る必要があるという。「最初の試験ではクラスで一番だったけど、かえって恥ずかしかったよ」といい、苦笑いを浮かべていた。しかも、留年の件で親と大喧嘩をしてしまい、絶縁状態だという。この店に勤めたのも、残りの学費は勝手に自分で稼げ…と言われたから、らしかった。

しばらく雑談したのち、シャワーを浴びるため二人は各々衣服を脱いだ。彼女は恥ずかしがり、自ら部屋の明かりを暗くしてから浴室に向かった。彼女は浴室でも、少し照れながら俺の局所を洗ってくれた。

ベッドに移り、横たわりながら雑談を続けた。彼女のいままでの経験人数は、1人だそうだ。その彼とは1年半前から3ヶ月前まで付き合っていたらしかった。彼はえつちが上手くて、彼のお陰でえつちが大好きになりました…彼女は嬉しそうにそう言っていた。

俺は、元カレと比較されるかも…と考えるとちょっと萎えそうになった。そこで“自分は自分でしかない。出来ることをやれ”と、まるで受験直前期の励ましのような言葉を自らに言い聞かせながら、彼女に対して虚心坦懐に攻めさせていただいた。幸いその結果、彼女もかなり感じてくれていたようだった。

彼女は「もう…したくなっちゃったよ…」と俺を見ながら囁くので、慌てて枕元の常備物を探そうとしたら、「…でも、お店の決まりだから、ダメだよ!」と一転撥ね付けられてしまった。

ベッド上にも関わらず路頭に迷った俺の「俺」は一時うな垂れてしまったが…結局迷子になる直前、彼女の手指により無事目的地まで導かれ、事なきを得た。

もう一度シャワーを浴び衣服を着てから、二人並んでベッドの縁に腰掛けた。伊勢丹の地下で買ったプリンを冷蔵庫から取り出し食べながら、残り時間おしゃべりをした。

今月末に彼女は誕生日を迎えるが、「プレゼントをくれる人がいないんだ…」と、彼女は寂しそうな顔で呟いた。参考までに何がほしいのかを尋ねると、PSP本体だという。

俺は話を聞いているうちに、短期間で彼氏とも家族とも離れてしまった彼女に同情してしまった。

彼女の孤独感は、いかばかりだったのだろうか。俺は彼女を元気付けたくなり、こう提案した。「…じゃあ、モエカちゃんの時間のあるとき、ヤマダ電機かどこかに一緒にPSPを買いに行って、その後に誕生日会をしようよ。」彼女ははじめはびっくりしたような顔をして「うそ?まじ?」などと言っていたが、そのうち満面の笑みに変わり、その提案を喜んでくれた。

そこで会う日取りを決めるため、メールアドレスを交換しようとした。彼女は携帯を一旦カバンから取り出したものの「…でも、お店の決まりだから、アドレス交換は出来ないんだ…」と、躊躇した。彼女は決まりを遵守する傾向が強いようだった。

ここで制限時間を告げるタイマーが鳴った。俺は取り急ぎ、ポケットに入っていたレシートか何かの裏側に自らのアドレスを走り書きして「じゃあ、ここに後でメールして」といい彼女に渡した。彼女は笑顔で「ありがとう!必ずメールするね!」といい、その紙片を受け取った。

その日別れてから、何となく充実した気分で帰りの電車に乗っていた。チラチラ携帯を見ていた俺は、はたと気付いた。


「やべえ!メアド書き間違えた(>_<)」


眼を閉じて思い出してみると、急いで書いたあまり、メアドに含まれる英単語のスペルを間違え、一文字抜かしていたことが確実だった。

俺は冷静になるように自らに言い聞かせながら、これからどうすればいいかを考えてみた。

このまま放置して、もし彼女が俺にメールを送ってくれたときに戻ってきてしまったら、どうだろう…彼女の悲しみや落胆はかなりのものだろう。

今日の彼女の勤務時間はもう終わっているし、現時点では次回以降の出勤の予定もまだ入っていない。お店の人に伝言を頼む訳にもいかないだろう。


…その時、ふと俺の頭に「そうだ!アドレスを変更すればいいんだ!」という考えが浮かんだ。

躊躇している時間はない。俺は、一文字欠けたスペルの英単語を含んだ間抜けなアドレスを新しいメールアドレスに設定し、「メールアドレスを変更しました」のタイトルと共に、Kちゃんを除く登録してある全員に送信した(Kちゃんの旦那はメールチェックをしまくるので、こちらからは送ることを禁じられていた)。


間に合った。その日の夜にモエカちゃんからお礼のメールがきた。俺はほっとして、迅速にメアドを変更してよかったな…と胸を撫で下ろした。その後何度かメールをやり取りし、翌週火曜日の夜に会うことになった。

おれは、プレゼントを買った後に行く予定のレストランも押さえ、電話予約の際には彼女が誕生日である旨を伝えておいた(そうすると誕生日メッセージがかいてあるデザートプレートをサービスしてくれるらしかった)。


準備が整った前日の夜、彼女から一通のメールが届いた。

「ごめんなさいショック!急用ができて明日はどうしてもいけなくなりましたしょぼん

俺は多少のショックを覚えながらも大人の対応で「了解しました。また後で連絡するか、お店に行くね!」と文面上は平静を装い返信し、彼女も「本当にすいません」と再び返信してくれた…これが彼女からきた最後のメールだった。


その後は彼女はお店には全く出勤しなくなり、2ヶ月後にはお店のHPからも姿を消してしまった。同様に俺の送ったメールにも全く返事が来なくなり、3ヶ月か4ヶ月後にメールを送った時には、「次のあて先へのメッセージはエラーのため送信できませんでした。」という文面が即座に帰ってきた。

俺は「あーよかった。PSP代もレストラン代もお店の代金も浮いて、よかったよかった。」と、脳内で嘯いた。と同時に「彼女はきっとご両親と仲直りでもして、風俗に勤めなくてもいい環境になったに違いない。俺みたいな店で知り合ったような人脈は、切って正解だよな…」などと考えて自らを納得させた。少しだけ、切ない気持ちになった。

そして半ば意固地になった俺は、間違ったスペルの英単語を含んだ間抜けなメールアドレスを、今日も使い続けている。


仰向けでの状態での後半戦が始まった。早々俺は彼女に「この店では、なんと言う名前で呼ばれているんですか?」と尋ねた(さすがにいきなり「何番ですか?」とは聞けなかった)。彼女は、ここでは女のコの名前は番号(で呼ばれているん)ですといい、自分は○番だ、と教えてくれた。俺は即座に、対応する背番号を持つ元巨人軍選手を思い浮かべ、同時にとふとふさんの解説と頭の中で照らし合わせた。書いてあった通りのいいコだ…と感じて、俺はほっとした。

その後は、彼女のきちんとしたマッサージを受けつつも、二人で日本語教室と中国語教室を、先生役⇔生徒役を交換しながらしばらく続けた。彼女は俺に、中国で歩いていて人にぶつかった時にいわれる(乱暴な)言葉「目がないの?」を中国語で何というか、を教えてくれた。俺は彼女に日付の読み方(ついたち、ふつか…)を、確認しながら教えた。

言葉の教え合いが一段落すると、彼女の故郷の話になった。彼女は3年間で一度だけ帰郷したらしいが、最近1年半以上は帰っていないらしい。彼女のご両親はまだ健在で、彼女ととても仲が良い、と言っていた。「時々、帰りたくてすごく寂しくなります。でもまだ帰れない。」彼女は悲しい表情をその愛くるしい顔に浮かべた。

彼女が何故日本に留まり続けなくてはならないのか、その事情は聞けなかった。彼女をこれ以上悲しませるのは俺の本意ではなかった。

俺は話題を変え、好きな歌手や歌について彼女に尋ねた。彼女ははにかんだ笑顔を浮かべながら、西野カナさんが好きです、と言った。また曲では、森山直太朗さんの「さくら」がお気に入りらしい。彼女は歌が大好きで、iPhoneには好きな曲を取り込んで、繰り返し聴いているらしかった。

一連のマッサージも概ね終わりに近づき、後はフェイスマッサージを少し残すのみになっていた。はじめは奥の方で聞こえていた先客らしき方の声も、いつの間にか聞こえなくなっていた。彼女は俺に「今、他の人いないから…カラオケしましょう」と言った。

「まさか、いまから店外に出るのか?」「ここにカラオケ設備があるのか?」…俺はちょっと考えたがよく意味がわからず、彼女に聞き直した。どうやら…この施術室のなかで、(アカペラで)二人で好きな曲を歌い合おう、ということだった。俺は了解し、残りの時間は2人きりの歌合戦となった。

まずは彼女の番だ。俺はフェイスマッサージ用の布で顔の上半分を被われたまま、彼女の歌「会いたくて 会いたくて」を聴いた。彼女の歌声はとても澄んでいて、心地よかった。何回も聴き込んでいるからだろうか、ワンコーラスをほとんど淀みなく歌いきった。俺は彼女を称賛し、目一杯拍手した。

次は俺の番だ。彼女が好きだという「さくら」を歌った。こちらは多少歌詞をごまかしながらも、何とか間奏までを歌いきり、彼女の拍手を頂けた。続けて彼女が知っているという「ポニーテールとシュシュ」「涙そうそう」の2曲を一緒に歌ったが2人とも歌詞をうろ覚えだった。ハミング等を多用してかなりグダグダになりながら切りのいいところまで歌い終え、笑いあった。

今度は俺の好きな曲を歌って聴かせてほしい-次に彼女はそう言った。俺はちょっと選曲を迷ったが、俺がきちんと歌詞を覚えていて彼女も歌詞を聴き取り易い曲…と考え、「歌うたいのバラッド」に決めた。俺はパンツ一丁+下半身にタオル掛け+顔上半分には布…の状態で、ただ声に身を任せ、頭の中を空っぽにして長い間奏の前までを歌いきった。彼女はいっぱい拍手してくれ、いっぱい誉めてくれた。お世辞だろうとは思っても嬉しくて、俺はにやけていた。

延長の60分も、そろそろ終わりの時間を迎える。彼女は、最後に彼女が一番好きな曲を歌ってくれるといった。中国の曲で、中国語の原題は聞いてもよく解らなかったが、「君にあえたのは縁です」という意味のタイトルだ、と教えてくれた。

彼女は少し恥ずかしそうに、俺の顔にかかっていた布を目深に掛け直してから歌いはじめた。ゆっくりとしたメロディ、一段と澄みきった声。俺は目の前を塞がれたまま、勝手に想像した彼女の故郷の光景を頭に浮かべていた。家族との団らん、学生生活…その後彼女は、俺には計り知れない苦労もたくさん経験しただろう。

でも、何故かあなたはこの店「O」に勤めていて、俺はとふとふさんの後押しのおかげで初めてこの店に来て、そしてあなたに出会えた。ここでこうして楽しい一時をあなたと過ごしているのも、本当に不思議な「縁」だよな…彼女の歌声と相まって、俺は不意に涙腺が弛んだ。俺は都合よく目の前を被っていた布で、何度か目頭を拭った。

彼女はフルコーラスをよどみなく歌ってくれた。歌詞は“…ウオーアイニー…”以外はよく聞き取れなかったが、それでも俺は彼女の澄んだ歌声を聴けて幸せだった。俺は賞賛の言葉・お礼の言葉と共に、この日ただ一度の抱擁を彼女と交わした。

お別れの時間が来た。帰り支度をしてお茶を飲み終えた俺は、彼女に再訪を約束、見送られて「O」を出た。


俺はマッサージのお陰で足取りも軽く、花園神社近くの「築地すし好 新宿店」まで早足で行った。少し前にTV番組「お試しかっ!」で紹介されているのを観て、いつか行こうと思っていた。数分待った後にカウンター席に案内された。

俺の右隣は30代前半と思われる真面目そうな男性だが、酒とツマミを前に、時々舌打ちを混ぜながらブツブツ独り言をつぶやいている。左隣は80歳前後の母と50歳前後の息子の2人連れだ。よくみると息子が高級ネタを「どうだ、旨いだろ」といいながら頼んでいるが、母はそれには全く反応せず、虚ろな目で黙々とこぼしながら食べている。

俺は人間の儚さ、弱さ、それぞれが送ってきた人生の重さ、尊さ…いろいろな事を考えながら、複雑な気持ちになった。それでも心を落ち着かせて「まぐろづくし」と「ひかりづくし」をゆっくりと食べた。美味しかった。

そういえば、彼女もお寿司が好きだって言ってたな。いつか一緒に食べに来たいな。彼女もきっと、喜ぶんじゃないかな-俺はふと、そんな思いを頭の中に描いた。俺は少しだけ、あたたかい気持ちになっていた。


(この項終わり)