その旅行は修学旅行の付き添いでした。
摂食障害でいつ倒れるかわからない子を預かりました。摂食障害は、心の病気です。けれど、栄養不良から貧血が進んだり内科的に支障がきたして最悪命を落とします。
それでもみんなと旅行に行きたいという気持ちが強く灼熱の関西旅行に参加しました。




いろいろ話をしました。辛いことが重なり、三ヶ月前から食べられなくなり生理も止まり体重が15キロ減りました。骨と皮となり唇は真っ白です。声は小さくやっと聞き取れるほど、関節を動かさず歩き目だけが大きく目立ちます。こだわりが強くなり今も決まったものしか食べられなくて、それもほんの少し、ご飯も口に入れても飲み込めないのです。そんな子供を見てシングルマザーのお母さんは疲れ果てイライラすると言ったのでした。
その子の気持ちに近づくのに私は自分の子供の時のことを話しました。私は成人した時35キロしか体重がなかったのです。
私は言葉を選びながら、世間話をするように話しかけました。私も同じだよというと顔色が少し変わりました。そして、自分の体験を話しながら祈るような気持ちでした。昔に比べて今の子供たちの方が生きずらい社会であることは明白です。貧困の連鎖は断ち切りにくく、都会は人が溢れるのに、孤独です。教育も体験も格差は広がるばかり。大人に失望した子を何人も見ました。でも生き延びて欲しい。希望を捨てずに人生を歩いて欲しい。夢を持って欲しい。
私もあなたの同じだったけどこうやって生きているから。一生懸命生きていけば必ず助けてくれる大人がいる。だから生きる価値がないなんて考えなくていい。
そんなことを話し合いました。すると、少しづつ私の持っていたお菓子を食べ始め、朝はひとつ食べたら無理ですと言ったチョコビスケットも全部食べ美味しいと言いました。もっと何か食べたいといいおにぎりも一つ食べました。お米を食べたのは何日ぶりだろうと言いました。
美味しく感じることの大切さや幸せを語り合いました。

その子は、自分で食べるものを自分で料理して食べたい、と言いました。


食べることは

生きる力

そして

絶望した時食べられなくなる。






私は子供の時のことを思い出してました。
不二家のケーキにはみんな思い出がありますよね。50年近く前、不二家のケーキ屋さんが私の住んでいた田舎町にもありました。

私は小学生。クリスマス生まれで弟と1日違いの誕生日の私たちは、年に一度だけケーキを食べることが出来ました。今では信じられないことですが。
ある日、母にねだって生クリームのいちごショートケーキが欲しいと言いました。会話の中で何かを買ってあげるという時、それならケーキが食べたいと言ったのだと思います。
母はちょっと不機嫌になりました。ショートケーキはとても高くて食堂でうどんを一杯食べるより高かったのです。私は母から、お金をもらい不二家へ行きました。やはりもらったお金ではいちごショートが一つ買えるだけでした。一つだけくださいというと、店員さんは困った顔をして、一つ用の箱がないので、ケーキ用ではない紙袋にケーキは入れられて渡されました。とても恥ずかしかったけど、誰にも見られたくなかったけど、でも嬉しかったのです。
形が崩れないようそうっと持って帰って、袋を開けました。
母はやっぱり不機嫌でたった一つしかと呟いてました。
けれど
その時に恥ずかしさをこらえて大切に持って帰り
大切に食べたいちごショートはとてもとても美味しかったのです。
それからは、何十年も不二家でケーキを買うことはありませんでした。やがて、シャトレーゼが安価なショートケーキを売り出し気軽に食べられるようになりましたし、大人になったらいろんなケーキ屋さんが増えて不二家に行く必要は無くなりました。それにやっぱり、袋に入れられたことに対しての小さな胸の痛みがあったのです。

大人になって、子供が産まれて、成長した頃、子供の時不二家のいちごショートはとても美味しかったという話になりました。そして、私は不二家のいちごショートを買いました。

何十年ぶりに食べたそれは、
昔のままでした。とはいきませんでした。あれ?という感じです。長い年月で、私の舌が肥えてしまったのか?子供の時の記憶なんてそんなものなのかもしれません。
とても残念な、寂しい気持ちでした。

それからまた数年後、不二家製菓で大変な不正が発覚し、その後も次々と、会社内部のお菓子作りに対するずさんで、金儲け主義な態度が明らかになりました。近くにあった不二家ケーキ屋さんも不二家レストランも閉店してしまいました。
そして、美味しくなかったケーキの原因が、やっと納得できたのでした。





美味しく食べられることは幸せです。
それは、何不自由なくなんでも好きなものが、食べられるとも、少し違うのです。
真っ白な顔が少し赤みが差して笑うようになった子は、家に帰って旅行が楽しかったとお母さんに報告したそうです。校長を通してお礼の電話が来ました。
近いうちに専門病院へかかるそうです。入院になるかもしれません。
人生は一期一会。
すれ違う人生が交差する時その人の人生に幸あれと祈らずにはいられません。