『らしさ』 | 固茹日記

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はーどぼいるどな俺がお届けするロマンティック活劇的日常

俺は数年かけて
自分らしさというものを
追求してきた。

しかしどうやらその旅は
無駄ではなかったとしても
有益なものだったと
今はまだ判断できない。

そのくらい、
長い時間をかけてしまったのだ。

俺は自分らしさを求めるあまり
時には迷走し、
時には暴走し、
結局、いつも気が付くと
自分が思い描く自分らしさとは
全く異なる場所に立っているような
そんな錯覚に襲われた。

ある早暁、
俺は東を向いた浜辺に向かった。
太陽は海から昇り、
赤から橙へ、そして黄色へと
その眩しい姿を変えていった。

午後2時を回ると
太陽は西の山に
早々とその姿を消した。

俺は車に飛び乗り、
今度は西に向いた海岸へと向かった。

車で30分ほど走ると
人気のない駐車場に車を停め、
俺は再び太陽を見た。

ガードレールに座ると
背面を車が数台行き交うのを感じた。
海面に映る太陽は
今度は黄色から橙へ
そして赤く、自らの姿を染めていった。

雲たちはそんな太陽の光を受け
赤く、そして一部は紫色を
身にまとい、夕焼け空を演出していた。

あれほど周囲を照らしていた太陽は
あっという間に海に飲み込まれていった。

薄暗くなり始めた空は
1等星から順に
無数の星を呼び起こした。

俺は車に乗り、
再び東向きの浜辺へと走った。

波の音を聞きながら
星を眺める。
風の声を聞きながら
月を眺める。
獣の声を聞きながら
夜空を舞う鳥を眺める。

そんな贅沢な時間を過ごしながら
俺は自分が自然と一体化している
感覚を肌で感じ取った。

俺は人間で
人間は獣で
獣は生物で
生物は自然が産んだものなのだ。

そして時間は流れ
暗かった視界は徐々に明るくなり
東に向いた海は
太陽を迎える準備を始めた。

一日という時間を
強引にも自然に溶け込ますことで
俺は自分『らしさ』というものを
見つけたような気がする。

いや、正確には見つけてはいない。
見つけてはいないのだが
自分『らしさ』というものの
本質がわかったのだ。

自分『らしさ』
それは自分が理想としておきたい
自分の姿であって
本来の自分ではないのだ。
本来の自分で無いということは
自分『らしく』生きていないということだ。

自分の心に正直に
自然に考え、自然に行動し、
自然に感じ、自然に愛する。

『らしさ』に捕らえられていては
『らしく』生きることなど不可能なのだ。

俺は波打ち際に
自分が追い求めてきた
『らしさ』を捨てた。
今の俺には重たすぎる荷物だ。

いつの日か俺が
心の底から笑え、泣ける日が来たら
俺はまた、この波打ち際に来よう。

そして自分が捨てた『らしさ』を
もう一度拾い上げ、そして
自分『らしく』生きているであろう
自分と比べてみよう。

きっとそれは見事なまでに
シンクロするだろう。

過ぎ去った時間はもう戻る事は無い。
立ち止まり考える時間は
実際には過ぎ去る時間を重ねているだけだ。

だから
俺は自分『らしさ』を捨てて走り出す。
自分『らしく』生きるために。

俺の新しい旅は
この新しい日の
美しい日の出と共に始まった。