キラキラキラキラおはようございますキラキラキラキラ

 

 

胆汁ダイエットコーチめいです。

更年期からのあきらめない!をサポートしています。

 

1ヶ月で体重4.8kg減音譜

ずっと悩んでいた便秘を解消!クラッカー

生まれて初めて綺麗になりたいと思ったドキドキ

などなど

嬉しいご報告をいただいております。

 

更年期って、

『今から下り坂』みたいなイメージのある方が多いですよね。

いえいえ!まだ人生の半分に来たところ!!

ここから自分を大切に、いつまでもイキイキ美しくありたいです。

 

 

昨夜は応援してくださる皆さんとの集まりでしたアップアップ

 

その中で、

『めいちゃんという人柄を知ればみんな好きになるグー!!』と

力強くおっしゃってくださった友人がおりました。

ありがたいことですね〜音譜音譜

そんなことを言っていただける人間になれたのだろうか?

 

それにしても、

確かにダイエットのこと、

ご自身の健康のこと、って

信用できない人には任せたくないですよね。

これからは少しづつわたしのこともブログに書こうと思いました。

 

そんなわけで、第一弾!!

『父とわたし』

この記事は、父とのことを書こうと思ったわけじゃないけれど、

筆を進めていたら、そうなりましたゲラゲラ

もし良かったら、皆様もお父様との思い出なぞ、書き出してみてくださいませ。

 

過去の記憶と向き合ってみると、

意外なことに開運しますよクラッカードキドキ

 

 

わたしってよくいるタイプなのか?

変態なのか?

変態な友達が多いから変態かもしれないゲラゲラ

類は友を呼ぶから。

 

わたしは埼玉県で生まれました。

千葉県松戸市で育ち、看護学校に入った21歳の時に茨城に引っ越しました。

 

27歳の時にオーストラリアにワーキングホリデーで来て、英語の学校に行き、医学用語を学び、派遣の看護助手としてシドニーで働きました。

 

一年後に今のオーストラリア人の主人と働いていたバナナ農園で出会い、31歳で結婚しました。

32歳の時に息子を授かりました。

 

コロナまでは年に1度か2度日本に帰っていました。

コロナの予防接種をしていなくて、なかなか日本に帰れず、先月5年ぶりに帰りました。

 

父は、山形出身で、小さい頃はわたしのことをものすごく可愛がってくれました。

愛情が深く、中学生くらいになると、厳しくなりました。

愛情が深かったんだ、なんて思えるようになったのは、わたしが大人になってからで、その当時は厳しくて嫌だ!としか思えていなかったです。

わたしのことを守ろうとしていたんじゃないかしら?

 

友達が家に電話をかけてくると、いるのに『いません』と言って切ったり、お泊まりを許してもらえなかったりしたので、『おたけン家のお父さん怖い』とかよく言われました。

 

あだ名が『おたけ』でした。

旧姓から誰かが名付けてくれたあだ名だったのですが、当時、ガチャガチャ(今でもガチャガチャと言いますか?)で

おばあちゃんの入れ歯シリーズが流行り(鉛筆のおしりのとこに挿せるおあばちゃんのカタチの消しゴムで、入れ歯が外せる)、そのなかに『おたけばあちゃん』ってのがあったので、冷やかされて嫌でした。

 

 

今年帰った時に、『お父さんとはどういう人なのか、よく観察しよう』と思っていました。

 

今までは、自分の主張をしなきゃいけない、と感じていて、なんだかいつも身構える臨戦態勢。

おそらく、自分の存在を否定してほしくなかったんだと思います。

大好きなお父さんだからこそ、認めてもらいたかったです。

『お前は間違っている』と言われてるような気になっていました。

だから、よく反発してました。

『お父さんとおんなじ人生歩むわけじゃない!』とか言ってましたね。

 

 

確か、妊娠中に日本に帰った時、31歳の時、父に言いました。

『お父さんに認められたくて今まで色々頑張ってきた。だけど、一度もよく頑張ったね、と言われたことない!』と言いました。

すると、父は静かに涙を流していました。

『学校行事などお前の人生の大事な瞬間にいつもそこにいられるようにしてきた。それじゃ充分じゃなかったってことなのか?』と寂しそうに言っていました。

それが初めて父の涙を見た時です。

 

 

69歳の父は、まだ現役です。

朝4時に起きて、身支度を整え、現場に向かいます。

内装業を自分のビジネスとして40年くらい続けています。

時にはマンションの13階まで重い荷物を肩に、階段で登っていきます。

帰ってきたら毎晩お酒を飲んで、こたつで寝ちゃう。

 

わたしが若かった頃は、まだ世の中がもっと自由だったから、よく現場に一緒に行っていました。

お手伝いのつもりで張り切るんだけど、父はマイペース。

気分が乗ってきたところで、『休憩』。

『また休憩?!もー、全然仕事が進まないじゃん!』とかほっぺを膨らませていました。

 

今ならわかる。

わたしと父は違う世界を見ていたんだな。

 

 

3歳の頃から重度の喘息持ちで、みんなと同じことができなかった。

学校に行けない、家族に迷惑かける。

劣等感の強い人間でした。

そんなメガネを通して長い間、世界を見てきた。

みんなが敵でした。

苦しかった。

自分だけが苦しい、と思っていることが苦しかった。

苦しい、を脱したかった。

自分とは、人生とは素晴らしい、と思いたかった。

だから、キラキラしてる人に憧れを感じながら、嫉妬心・嫌悪感を感じてました。

時間はかかったけど、今ある場所に来れたことが本当にありがたい。

 

新しいメガネを手に入れて、世界が変わりました。

先月久しぶりに日本に帰った時、気がつきました。

『父もわたしと同じ、人間であること』。

それまでなんだか父というのは、別格の存在であった気がしていて、

父には間違いがない完璧な存在、と思っていました。

それってなんだか変だけど。

だから、父が機嫌が悪くて嫌なことを言ったりする時も、

『お前は〇〇だから』とわたしのことを決めつけるようなことを言う時も、

『わたしが悪いから』と捉えてきました。

 

父以外の人にも何か言われることが嫌でした。

人の意見を恐れていました。

『お前は間違っていると言われている』と受け止めていたからなんですね。

面白いですね。人間って。

 

 

落ち着いて父の声に耳を傾けよう、と思いました。

『お父さんは、ただ自分の言いたいことを言っているんだ。わたしへの批判ではない』、というメガネを通して、わたしの意見は言わずにただ聞いていました。

結果的には、『父も、わたしとおんなじ、一人の人間なんだ』と気付きました。

それが、わたしにとっては当たり前のことじゃなかった。

もう長い間。

そして、お互いにこの世界を味わい、謳歌しているんだね、と思いました。

 

父も、わたしも、間違っていない。

誰も間違っていない。

 

 

今までは、『父に気に入られる良い子』でいようとしました。

その頃は、心の底から分かり合えない苦しさを感じていました。

だから、自己を主張ばかりしていた。『わかってよ』ってね。

わかりあってよって。

 

父の話をただひたすら聞いて、自分の意見は言わなかったけど、前よりわかった気がします。

わたしにも、父にも、みんなにも、色んな意見があって、みんな良い。

 

父との現場での時間、父はもしかしたらそういうことを伝えようとしていたのかもしれない。

 

 

こんなわたしと更年期からの胆汁ダイエットに取り組んでみたいあなた。

是非、メッセージください。

*なぜ胆汁なのか?

*胆汁ケアとは?

*胆汁ダイエットのための生活習慣

*胆汁ダイエットのための心の整え方

 

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