久しぶりにブログを書き綴ります。
森田生涯さんのブログをよんで、感心したので転写してみます。
ある先達(精神科医:森田正馬博士)の言葉がある。
窮達は命なり。吉凶は人に由る
意訳・・・人が困窮したり栄達に恵まれたりするのは運命だが、それを吉とするかはその人次第だ。
困窮の中にいても、そのことによって運命を発展させる人もいるし、
栄達の中にいてもそのことで運命を衰退させてしまう人もいる。
吉凶を分ける基になるものは、その人の困窮についての受け取り方である。
これは、文芸評論家の小林秀雄氏の言葉である。
困難な事態を試練と受け取るか、災難と受け取るかが、個人の生活でも一生の分かれ道になる。
困難や苦悩を災難と受け取れば、不平不満、愚痴しか出てこない。運命を呪う。
果てには自暴自棄に陥る。そういう人の人生が充実・発展するわけがない。
むしろ坂道を転がるように悪くなっていく。
逆に、この困難は自分という人間を鍛え成長させるために、
天が自分に与えてくれた試練だと感謝して受けとめていくと、しだいに運命は好転していく。
(人間学を学ぶ月刊誌 致知 2026年4月号 14ページ)
人生には次々と困難な壁が立ちはだかってきます。
それは人それぞれ違いますが、ほぼ間違いなく訪れます。
病気で生死の境をさまよう人。事故や災害に巻き込まれる人。紛争や戦争に巻き込まれる人。
経済的にダメージを受ける人。神経症でのたうち回るのもその一つです。
これらは神様が人それぞれに難問をだされたと捉えるのは如何でしょうか。
一目見て「こんな難しい問題は私に解けるはずもない」といって席を立つ人もいるでしょう。
あるいは、放心状態に陥りながらも、しばらくして果敢に立ち上がる人もいます。
神さまは天上から、その人がどう立ち向かうかをじっと見ておられる。
そう思うと、簡単にあきらめてしまうのは考えものだと思います。
私は対人恐怖症でしたが、40年近く症状に振り回されてきました。
偶然にも森田理論に出会い、乗り越えるためのツールと出会いました。
これも神様が用意して下さったのではないかと思っております。
今では症状の向き合い方が分かるようになりました。
それよりも大きかったのは、森田理論が神経質性格を活かした、
「人生90年から100年時代」の生き方を提示してくれたことでした。
今では神様に向かって、神経症の乗り越え方と神経症を活かした人生観について、
レポートが提出できる段階に達したと思っております。
以上が、森田生涯さんの記述であります。
この心境に達するまでに、どれほどの苦悩や人生苦を潜り抜けてきたことだろうと思う。
そのように考えると、人は絶望するのは「考え方の硬直性」にあることに思い至る。
森田正馬博士は、自分の人としての「性格類型」では「神経質」と自覚していた。
そうであるがゆえに、神経質人の苦悩を経験されながら「神経質の研究」に取り組んだのである。
それは、自身を見据え尽くして「人間・どう生きるか?」を追求したのではなかったか?
神経質人は「かく、ありたい人生の理想」を自分の人生観の大切な考え方と思い込む。
それは、「思い込む」というよりは「現実の人生体験から学んだものではない」ところに問題ありです。
森田先生の直弟子の高良武久先生は、次のように云っている。
「世の中の現実は、自己の都合のよいようにはできていない」という。
自己に都合の良いように思えるのが神経質人で、これを「自己中心的人生観」とも云っている。
そこには「現実の社会に適応する努力」の側面が欠落している。
「自己愛」はあって当然だが、それを敷衍してゆくと、ままならぬ世の中の世界観に行き当たる。
つまり、世の中というものは自分に都合の良いようにはつくられていないのです。
そこの「我慢」(云い方をかえれば、適応努力)が必要なのだというわけです。
そのために、「かくありたい」という人生観は、常に現実によって挫折を余儀なくされる。
神経質人には、「ギャング時代経験」が欠けているともいう。
人によって考えが異なるのは、学校教育では教えないし、そういう現実を視る眼が欠けている。
それゆえ、思想主義は「思想によって現実をやりくりしたい」という、自己中心的な考えを持つ。
神経質に生まれたことを感謝する気持ちになれたら、「森田生涯」さんの心境が理解できるだろう。
