神経症の不安は、「恐怖感動」体験が「また繰り返したどうしよう」の経験から来る。

また繰り返したらどうしよう! と考えるのは、恐怖感動がトラウマになったのだ。

これを「心的外傷体験」と専門家は呼称する。

人生には困難はつきもので、「困難な状況」(適応不安)にある時に、

突然「いわれのない不安感に襲われる」のです。

これは主として「不安神経症」(今はパニック障害)の大きな契機となります。

 

初体験の時は「どうなってしまったのだろう」と、恐怖感に襲われます。

恐怖感動の初体験は、殆どがこのような「きっかけ」となるようです。

いわれのない不安感、それは「いても立ってもいられない」という言葉があてはまる。

体験者の東大教授「辻村明」先生は、通勤電車の中でそれを経験した。

電車の中は、知らぬ人ばかり。助けを求める訳にはいかない。

脂汗をかきながらじっと耐えながら、次の停車駅迄、将に「一刻千秋の思い」だった。

 

実は考えてみると、「予期不安」に悩まされるのは「恐怖・不安」から逃避したい。

こうした恐怖体験が経験則として、心理的に働くのである。

「生活の発見会」では、「基準型学習会」を毎年開催している。

私がこの学習会に参加したのは、昭和59年9月から12月までの3か月間でした。

 

神経症の成り立ち、治し方、積極的な目標を持った生き方、嫌なことから逃げない等。

多くの学びをします。そこで気付かされるのは、感情(不快・不安等)は、

自分の意思では変えられないということです。

神経症になりやすい人には「神経質」という性格傾向を持った人に多いと云うこと。

先に結論を申し上げよう。それは「死の恐怖」が心の奥底に燻っているのである。

 

 

人間にとって一番怖いものは「死の恐怖」である。

昔の人は【死んだ気になってやってみろ!】という言葉で表現した。

だから、人間の一番の恐怖は、「死の恐怖」なのである。

これは、ひとり人間のみに限らない。

生き物としての動物はすべて当てはまる。しまもそれが本能であるかのように!

 

森田先生はいろいろと自己観察を重ねて、不安・恐怖の招待を月とめた。

その結果、人間の「願望・欲望」の強い人が不安感情を常態化させやすいのです。

つまり「欲望と不安は」同一の事柄の「両面」なのである。

大切なことは、不安が「正常な不安」か「神経症的な不安」かを自覚するとよい。

ことばを変えて云うと「自分を正しく自覚」して、「自分を偽らない」ことです。

 

「健康で人生を有意義に生きたい」、「人から認められたい、よく思われたい」。

これらは人生上における願望・欲望である。

健康欲求が強ければ、自覚的に早寝早起きと規則正しい生活をすること。

他人からの承認欲求が強ければ、辛いことでも行動で責任を果たすこと。

そうすることで、「あの人は信用できる人だ」と云うことになります。

 

そうした責任ある行動を回避して、他人からよく思われようとするのは間違いだ。

辛いこと、嫌なことから「逃げない」ことである。

それは、誰しも苦しいことや辛いことは嫌だと思うのは人情であります。

しかしそれをしないで、他人が信頼に足る人間と承認してくれるでしょうか?

その努力を怠って、他人から信用がないのは自分の責任とばかり自己改造を願う。

 

それは努力方向が間違っているし、もっといえば認識違いに起因します。

他人の為に尽すという気持ちより、自分の性格に原因を求めてしまうのです。

そうではなく、自分に生まれながら備わっているものを「活かす」ことなのです。

これが森田療法の大切なところであります。

「ないものねだり」をやめて、「持っているものを」活かす・発揮することです。

 

衆前恐怖という人がいます。

大勢の人のまえで話が出来ない。赤面してドキドキする。足がガタガタ震え、

目つきもきつくなるのを苦にする人がいます。

しかしよく考えてみると、それは普通の事で、誰にでもあるのです。

こうした場合どうするか、目的を考えてみよう。

 

聞いている人は語る人が赤面しながら、顔が少々ひきつっていようが気にしてません。

きにするという観点から言えば、どういう内容を語っているか、理解しやすいように、

大切な部分をはっきり、しっかり語っているかどうかに関心があります。

語る人の恥ずかしそうなのをこらえて、一生懸命語っている姿に好意的であるだろう。

 

写真の辻村先生の著書『私はノイローゼに勝った』『ノイローゼに克つ法』は、

何れも「ごま書房」から刊行された。

前者が昭和54(1979)年11月、後者が平成3(1991)年に出版された。

 

 

ノイローゼに勝ったは、大変な売れ行きで著者の辻村先生も驚くほどだった。

読めばわかるが、多くの方々が相談の手紙を寄せている。

先生のご自宅が解らないので、出版社の「ごま書房」編集部あてに届く。

それを著者に転送してくれるようで、困り果てた末に思い切って相談している。

 

先生も予想はしていたものの、これほど多くの方々から相談が寄せられて、

著者席責任ということもあって、懇切丁寧に体験から学んだことを助言している。

共通する助言は基本的に、困った状態を行動で解決しないことを諫め、

「嫌なこと」「辛いこと」から逃げずに、解決の為の行動をとりなさいと促す。

前者が大きな反響があったので、再度版を改めて(内容も変えて)出版した。

 

実は私も辻村先生の自宅宛てに、手紙を出している。

私の場合は、相談ではなく、ご自身の体験を赤裸々に打ち明けたことで、

森田療法の存在を知って、慶応病院から慈恵医大に森田療法を求めて経緯、

そして元気回復が出来た喜びの報告であった。

 

先生は非常に喜んでくださり、直ぐに返信が自宅に届いた。

いわば一読者としてのお礼と、森田療法を学んで元気回復の報告であった。

その後、「日本文化研究会」をやるから、参加しませんかと、お誘いを受けた。

「ありがたかった」。参加したら、大半が辻村先生の教え子が出席者だった。

TVでの有名な司会者もいた。

人生出会いだな。しかも、ありがたい出会いです。