"Death to me is nothing. Death to me means nothing as long as I can die fast. Many times I've known I could have been able to die fast, and I could have easily gone over and done it. I'll admit to having this suicidal thing, but I came through."

外来で、ただ漠然とした社会への不安と不満と不適応感と恐怖と、死すらも意識できないような漫然とした生への欲求を無表情に語る若者たちと長々と話した後にこの記事を読む。







あ、Allen Ginsbergが後ろにいらっしゃる。


ノーマン・メイラーは言う。「この荒涼たる情景に、ひとつの現象があらわれた。アメリカ的実存主義者――ヒップスターがそれである。(中略)死の条件をうけいれ、身近かな危険としての死とともに生き、自分を社会から切り放し、根なしかずらとして存在し、自己の反逆的な至上命令への、地図もない前人未到の旅に立つことだということを、知っている人間である。つまり、生活が犯罪的であろうがなかろうが、自己のうちの精神病を鼓舞し、安全は倦怠であり、したがって病的である、あの経験の領域を探求しようというのである」


社会への不安と不満と不適応感と恐怖。

必ずそこにある死。


どの時代もそれらは変わらないのに、異なるのはそれに相対するひとのこころだ。

だけど、ひとのこころはまた時代の一部。時代に作られ、時代を作る。

そのなかで、それぞれがそれぞれなりの生き方を模索していく。その形は、それこそ何だって良いんだけど。


ああ、そうだ。今夜はDeath & Fameを読もう。Allen Ginsbergが晩年、死の直前に自らの葬式を唄った詩。
Bouldering @ Mt.Kasagi.

Who called me a paparazzi ??

いや、もう新しいおもちゃを与えられれば子供はひたすらそれで遊びたくなるんです。

でも写真撮ってただけでなく、いろいろ触らさせてもらいました。
楽しかった~!

元々は塩原の岩と同じ岩質と聞いたのだけど、全然違う手触りだったな。

日帰り恵那も、十分可能であることがわかりました。だけど、それは皆さんが交替で運転助けてくれたからだな~。感謝感謝。

日曜日は雨だったみたいだけど、泊まり組の方もちょっとは登れたみたいで良かった。



わたくしは、気まぐれな雨にずぶ濡れになりながら、日比谷公園でGerman Beer and ROVO !!

LIVE直前に本降りになり始めて、ZAZEN BOYS→七尾旅人で徐々に小振りに。

そしてROVOが始まると、雨はその余韻を残すのみとなり。

ROVOは生で聞いたことがなかったんだけど、こんなにaggressiveかつslilyかつdynamicな演奏をしてくれるとは思わなんだ! こんなに素晴らしい気持ちにさせてもらえるなんて....!!

Ein Prosit !! 今日の雨に。
放射線を正しく理解するために

文部科学省による平成23年4月20日の教育現場の皆様対象のお触書、らしきもの。


正しく理解しようとしても、結局のところはその基準値設定の理由には何も言及なく、「今回のような非常事態が収束した後の一般公衆における参考レベルとして、1~20ミリシーベルト/年の範囲で考えることも可能」としか書いておらず。


これでは、公表された値を「正しく知る」事は可能でも、「正しく理解する」ことは困難。


こんな不安のみを煽る情報開示をした上で、「放射線の影響そのものよりも、「放射線を受けた」という不安を抱き続ける心理的ストレスの影響の方が大きいと言われています。」とか言われちゃった折には、メンタルヘルス従事者としてはあんま面白くない。


まるで、ストレスで病気になったって、勝手に心配してるあんたが悪いんでしょ?的責任回避を感じざるを得ないんですよね。あ、被害妄想?


確かに、前読んだ過去の大災害におけるstudyの中で、児童のストレスに関してのもので気になったものがあった。

ざっくり言うと、被災した児童に対しては、「被災し、避難生活を送らざるをえない」ことそのものよりも、「自分自身は安全な場所に非難してたとしても、家族と離れ離れになってしまっていること」のほうがストレス値が高くなる、というもの。

それをこの放射線被害のことに置き換えて考えて見れば、明らかではない健康被害を恐れて、子供たちだけでも避難させる!とかの大きな反応をするよりは、そういう状態であるということを理解した上で、家族みんなで頑張っていったほうが、精神衛生上望ましいよってことなのかもしれないけど。


それはほんとにあくまでも、皆がそれなりにでも「正しい理解とコンセンサス」を得られた状態において成り立つものであって、皆にそれを与えられないのにそれをゆうても、それは抑圧とでもいわんや。



みんな、正しく怖がり、正しく不安がろう!

そしてそれをちゃんと共有しよう。

そうじゃないと、ほんとに病気になっちゃうぞ~!




あ、あと、スーザン・サランドンはやっぱり素敵。