その後、祖父は持ち堪え、今日も生きている。
輸血を繰り返したり、モルヒネを入れたり、毎日、色々な処置を受けていて、未だ予断を許さない状況だが、意識はしっかりとしているそうだ。
マスクを付けて話せなくても、呼吸が落ち着き、状態が良い時は、呼びかけに頷いたり、指で字を書いたりして反応していると聞いた。
そんな祖父の状況を聞いた母は、「さすが世界を渡り歩いた人だわ。しっかりしている。」と言った。
確かに、海外生活が長かった祖父は、この年代の一般的な人達より、タフな人生を送って来たのかもしれない。
それから、「戦中産まれは、やっぱり違う。強いわね。」と言った。
戦中とは、第二次世界大戦のことだ。
祖父は、戦中、敗戦後の、満足に食べることも出来ないような貧しい時代に、幼少期を過ごしている。過酷な状況でも踏ん張れる強さは、母や私の世代よりも、確かにあるのかもしれない。
続けて、「祖母も凛としていて、とても強かった。」と、大正生まれの祖母の話を始めた。
私の曽祖母のことだ。普段着は、和服だったそうだ。
「着物の襟元の汚れをベンジンで叩いて落とす匂い、仏壇の線香の匂い、お経をあげる時に叩く木魚の音は、今でも直ぐに思い出せる。」と言った。
そして、「あの時代の人達に育てられたからか、お父さんにも、大正の残り香を感じる。」と言った。
大正の残り香? 大正時代の香りということか…
意味が分からず、「大正の残り香って何?」と母に尋ねると、
「…何だろうね。その時代の香り…人のまとう雰囲気みたいなものかなぁ。」と笑って答えた。
人のまとう雰囲気に、時代の香りを感じることなんてあるだろうか…
そんなものがあるのなら、今の時代は、一体どんな香りなのだろう。
じぃじが作った私専用チケット。
じぃじがドラゴン役をして私がおもちゃの剣で倒す遊びと、じぃじと相撲をとるのが大好きだった。このチケットを持参すれば、いつでも遊んでくれて、じぃじの家にいつでも泊まることが出来た。
今、改めて見ると、じぃじの字は、とても綺麗だ。