ここでは、16歳から車の運転免許が取れる。

通学する学校は、住所で指定される学区制で、学区の範囲は、日本のそれより、ずっと広域に及ぶ。

時間の指定されたスクールバスで、あちこちグルグル回りながら登下校するより、自分の都合に合わせた自家用車での移動の方が、当然、便利で快適だ。しかし、両親が共に働いていたり、他にも送迎が必要な兄弟姉妹がいたりと、色々と事情がある家庭もあるだろう。

自家用車で送迎出来たとしても、10年以上に渡って続く朝夕の往復は、迎えを待つ本人にとっても、運転をする家族にとっても、少なからずストレスになっている様に見える。

また、12歳以下(←うる覚え)は、1人にしてはいけないというルールがある。(それだけ日常に危険が潜んでいるということ。)

つまり、本人が運転免許を取得するまでは、家から出る為に(例えそれが、ペットボトルのジュースを一本買いたいだけだとしても)必ず誰かの運転が必要で、中学生位迄は、必ず監視者が共に居る中で、毎日を過ごす。

アメリカでの学生生活は、自由で奔放なイメージが強いと思うが、実際はこの様な状況なので、東京の小中高校生よりも狭いコミュニティで、自由のない生活をしているのではと思う。

家から一歩出たら、何処へ行くにも、必ず大人が同伴で(だから、行く先(習い事、部活、ボランティア等)は、親の意向が強く影響する)、何処へ行くにも車に乗り込まなくてはならず、行動に意外性の余白はない。大人の都合に合わせ(多分、殆どの場合、子供の都合に合わせてくれている)、日中の安全な時間帯に(何処もかしこも、とても早い時間に閉まる)、共に行動できる時間を確保し、車で往復出来る距離の範囲内で活動する。

直行直帰なので、会う人や見聞きする事柄は限られる。新しい何かを探し、無理矢理にでも、特別な用事を作らなければ、違う場所へ行くことは一切無く、新たな出会いもない。(ネット上は可能。)

加えて、通常、住宅街地域は住宅のみで、徒歩で行ける範囲に、店やレストラン、文化的施設など一切無い。(ちなみに、日本の様なコンビニは存在すらしない。)大体、道を歩いている人など、ほとんどいない。(日中、ジョギングや散歩をしている人は、チラホラ見る。)

 長年の間、こうした生活をして来た人達にとって、運転免許取得が、自由への翼の様に感じられることは、容易に想像が出来る。


☆ どんなにネットが発達して、場所は関係ないと言われても、私はやっぱり、色々な人達と直接会って話したり、実際に色々な物を見たり聞いたり、体験することが好きだ。コロナ禍で学校が休校になり、外出出来なくなった時に、つくづくそう思った。

 日常の移動範囲が小さく限定されることは、日頃、見聞きするものの限定を意味する。

東京での危険の少ない自由な外出と、張り巡らされた交通インフラによる気軽な移動は、多種多様な人々が出会う機会や自由な選択を、多く与えてくれているのではないかと思う。