自分の人生について

さらけだして書いてみようとおもいます。

とある関東の田舎の先代から続く

大農家の長女として生まれました。

父親は地元ではいわゆるかなり名の知れたかなりのヤンキー😭

只今70歳

母親は真面目だと言っているけど

まーそれなりの、、😭


その娘として育ち

家族は8人家族でした。

祖父母、おばさん、両親と私の兄弟

大農家あるあるで叔母さんも一緒にすんでいました。

兼業農家だったので叔母さんが私たちを育ててくれたみたいな、、

小中はまー普通の子供


中学になり

自分の人生は看護師として生きる!と思い

普通の学歴から all3とか

今思うのは、、ちゃんと小学校から勉強しないとあかん。

バカがバレる、、😭


行きたい高校はかなり偏差値が高く

これでは普通の人生しか送れない。

私の人生は終わると思い

かなり勉強をし

塾にも入り

Dランクから特進まで上り詰めました。

勉強三昧

はれて

地元の昔からある行きたかった女子校の看護科へ


かなり学校は厳しくでも

3年間なめた生活を送り

まー一応、卒業と同時に

准看護師の資格はとり

それから

県内の正看護師を目指し済生会の看護学校に志願するも

素行が悪く落ち、

叔父さんが埼玉にいたので埼玉かな?なんて

埼玉県立の倍率が 10倍もした高専になぜか

受かりました。


それから

叔父さんちから通うことの話が

素行が悪すぎて却下され

関東の田舎から片道2時間半かけて毎日通学

それはそれは大変でしたが

学校生活は楽しく

いまだに人生の友としての付き合いがある

友達達と巡り合いました。

学校生活はそれはそれは舐め腐った生活

パリピ人生週末は埼玉の友達の家に泊まり

パーティ三昧

昔から好かれるとか気にをしていなかったので

先生達にもかなりなめくさっていました。

なぜか、、

担任に気に入られてて

どーしようもない人生だったのに、、


高専最終、

正看護師試験前に学校をやめようと考えていましたが

担任に相談したら

あなたはいいもの持っているんだから大切にしなさい、、と。

なんとか卒論を書いて卒業


いまだにその先生には感謝しています。


卒業前の就職は

第一希望の埼玉医大を受けるも

実習態度が悪く却下され、

第二次志望の南越谷にある

医大に合格

(そこには実習に行ってなかったので)


そこは正看護師が前提

とりあえず就職活動は終わり


あとは正看護師試験のみ


正看護婦試験の前まで遊んでいて

車の事故を起こし

それが原因ではないですが勉強不足で

はい、落ちました、、、


看護師試験の結果待ち状態で

整形外科に

就職してから

数日後婦長に呼ばれ

看護部長室へと、、

働いてから正看護師の結果

10人ぐらいいたかな、、落ちた人たち、、

パリピの学校の

友達もかなり落ちていた、、

舐め腐った生活をしていたのでね、、

自業自得です。


そして、看護部長に

ここは正看護師のみの職場だからどうしますか?と、、、

看護婦寮にも入ってしまったのに、、どうしようか、、と。

准看護師パート扱いでいれるか、

違う職場を探すか、、

今更地元にも帰れないし

パート扱いで、、

1年同期と同じ仕事して

勉強しながらまた再受験することに

給料は3回ボーナスがある中、、パート扱いはなし、給料も

正看護師の半分以下

夜勤も普通にあり、

昔なんて超勤なんてないし

ほぼタダ働き

でも

がんばりましたよ。


分厚い参考書

丸暗記、、

試験終わって答え合わせしたら

私がほとんどあってなくて

あーもう、終わり、、

寮にあった荷物を全て荷造りして、、

でも

働きながら正看護師試験に受かりました。

あれは、奇跡、、



1年はパート扱いで肩身が狭かったので

かなりおとなしくしていましたが、、

あえて正看護師になり

それまた 舐めた生活

ナース服を膝丈にしたり、

ストッキングを白でないといけないのに

茶色だったり、、

仕事ちゃんとしてればいいでしょう、、みたいな、、

そして

大好きなブキボー

茨城の海にかなり行ったな、、

ボディボードを再開して

夏は真っ黒、

冬は栃木や北海道、

スノボ三昧

あの時代、サーファーとか

流行っていたのです。

お金もかなりもらえ

ボーナス3回

春と夏と冬

夏なんて100万近かったような、、


そんなこんなで

あの看護師は誰だ?になり

看護婦長たちにも目をつけられ

はい、看護師3年目で

整形外科から呼吸器内科

天国に近い病棟に左遷


それはそれは大変でした。

助からない人たち、、

毎日、死んでいく人達の処理


ほとんど肺がんの末期

呼吸って24時間するものだから

心臓強い人は

ずーと苦しまないといけないから

家族と相談をして

医療麻薬を使い

いわゆる心停止に導くみたいな、、

みてられないですよね、、

家族が苦しむのは、、

サクションといって時間ごとに

チューブで痰を取るのですが

意識があるとそれまた辛い、、

末期の人に

それをしないと痰つまりになる、、

いまだに覚えているのが

サクションをして

患者さんは

辛くてお前を恨むと言われ

次の日亡くなった、、とかもありました。


真っ白な壁が血だらけの真っ赤とか、

肺からの血って真っ赤なんです。

吐血にも種類があって

肺からの鮮血、胃から、下血は色がちがいます。


心肺停止、蘇生、、死体処理、、

でも死体処理ってずーとみてた患者さんだから怖くないんです。


そんなこんなで私は2年その

呼吸器内科病棟にいて

年功序列を重んじ、

軍隊みたいな病院だったし、

私がしたいのはこーゆーことじゃない、、

なぜ、看護師になったのかをとい、

看護師はやめようと思い、

大学病院は辞めました。


辞職するとき

看護部長にはかなり怒られ

あんなに世話したのに、、と。


まー中堅でこれからっという時だったしね、


そして、フリーダムが欲しく

同じ同期

で、地元の女子高の1年先輩でも

同期で

仲よかったF美ちゃんも辞職


1ヶ月ハワイにいくのでした、、

(そこで今の人生が始まるのです)


To be continued 

続く