2ヶ月半の実家生活を終えて、先日無事自宅に戻りました。
急に産まれたので、里帰りを事前にする予定が出来ず、結局自宅の片付けも中途半端だったので、戻ってくるまでに時間がかかりました。
そんなこんなで前回の続き…
13:30過ぎに実家を主人の運転する車で出て病院に向かい、多分14:15くらいに到着。
車の中で明らかにどんどん痛くなってきた。
病院について受付に行くと、2Fへ行ってくださいと指示される。
痛みの波が引いたところで2Fへ行き、さっそく陣痛室へ。
助産師に診てもらうと、子宮口は3センチほど開いてますねとのこと。
まだ時間がかかると思うけれど、羊膜がだいぶ薄くなってきているのでこのまま破水すると思うので、このまま入院しましょうと言われる。
いよいよかと思い、渡された服に着替えようにも、痛くてうまく着替えられず、手伝ってもらってなんとか準備完了。
仰向けに寝ると、なんだかめちゃくちゃ痛い。
痛くて勝手に涙が出てくる。
そうこうしているうちに分娩室移動しましょうと言われる。
時計してなかったので正確な時間は覚えていないけど、多分陣痛室には1時間もいなかったと思う。
それで分娩室に入って内診してもらうと、既に全開。
進みが早い!と助産師さんもびっくり。
自分も何がなんだかわからなく、でもこんなに痛いのが何時間も続くのか!?とげんなりしていたので、早く終わりそうだというのにちょっとうれしくなる。
何度かいきんでもあんまり進まないので、横向きになっていきめと言われる。
もう力を入れるたびに指先に力が入りすぎて感覚がなくなり、しまいには腕がふるえてとまらない。
胎児に酸素がいきわたっていないからと酸素マスクされるも、今度は息を吸い過ぎて過呼吸になる。
そこからは痛いよりも息が苦しく死にそうで、たとえるなら長い下り坂のマラソンをしている感じ。
そんなことを考えていたら、やばい、お昼炭水化物食べてないじゃん!
マラソンには炭水化物が必須なのに乗り切れん、これはマラソンに通ずる持久力だなんて思いがわいてくる。
そんなこんなしているうちに破水して、それでもあと一息というところまで進まなくて、しばらく静かな時間が流れたと思ったら、痛みが弱いので薬使いましょうと言われ、思わず「え?!薬使うんですか??!!」と言ってしまった。
促進剤の恐ろしさを色々な人に聞いていたので。
でもそこから勢いがついて、どんだけ痛いのかと思ったら、むしろ後押ししてくれたくらいな感じで、全開から30分の17:01に産声を聞くことが出来ました。
出てきたわが子を見て、みんなの第一声「大きい!」。
はかると3880gもあり、そりゃデカいわ。
胸に乗せてもらって初対面、ようこそと声をかける。
今振り返ると痛みよりも息が上手くできなかった苦しさのほうが、はるかにつらかった。
出てきたわが子がビッグベビーだったこともあるかもしれないけれど、最後はお腹の上を思い切り押されて出てきました。
結局病院ついてから2時間半くらいで出てきたので、安産だったねと色々な人に言われるけれど、助産師さんからは経産婦並の進みで、あれはあれで体がついていかなくて大変だと言われた。
その通りに本当に大変だった。
計測を終えて産着を着せられた子供差し出されても、腕がしびれて感覚が無く、しかも震えまくっていて抱けなかったので、最初の抱っこは主人。
横になったまま顔を眺めると、かわいいというよりは面白い顔をしているというのが第一印象。
しばらくそのまま分娩台で休んだ後、部屋に移動。
テーブルに晩御飯が用意されていて、やっとご飯だと完食。
面会時間が20時までなので、そこで主人帰る。
着替えたくても疲れすぎて体が動かず、変な形でベッドに倒れこんでいたら、見回りにきた看護師さんに大丈夫ですか?着替え手伝いましょうかと声かけられるも、疲れすぎて動けないので、しばらくこのままでいます、夜中もこのままかもしれないけど大丈夫ですというと、また見に来ますねと言われる。
ぼんやりと、あー、日本時間の真夜中にパリについて、やっとこさホテルの部屋のドアを開けたあとの疲労感に似ているなぁと思った、それくらい眠かった。
結局夜中にごそごそ起きて、顔を洗って、なんとか着替える。
翌日は朝10:00から授乳だったけど、体が痛すぎて起き上がることが出来ず、授乳はその翌日からにしてもらい、食事も朝、昼と部屋に運んでもらった。
部屋からは夕方まで一歩も出られず、結局我が子を初めて抱いたので、うまれてから24時間以上経った、翌日の19:00でした。
翌日からの3時間おきの授乳は、授乳室で。
同じ日に出産した人があと二人いたけど、1日早く授乳をしているので勿論私より上手。
傷が痛いのもあってなかなかうまくできず。
沐浴は見学のみで、実践は家に帰ってからぶっつけ本番という怖さ。(3人子供がいる姉の指導で、どうにかなりましたが。。)
更に結局病院が混んできたという理由で、一日早く退院するはめとなるというオチつきでした。
急に産まれたので、里帰りを事前にする予定が出来ず、結局自宅の片付けも中途半端だったので、戻ってくるまでに時間がかかりました。
そんなこんなで前回の続き…
13:30過ぎに実家を主人の運転する車で出て病院に向かい、多分14:15くらいに到着。
車の中で明らかにどんどん痛くなってきた。
病院について受付に行くと、2Fへ行ってくださいと指示される。
痛みの波が引いたところで2Fへ行き、さっそく陣痛室へ。
助産師に診てもらうと、子宮口は3センチほど開いてますねとのこと。
まだ時間がかかると思うけれど、羊膜がだいぶ薄くなってきているのでこのまま破水すると思うので、このまま入院しましょうと言われる。
いよいよかと思い、渡された服に着替えようにも、痛くてうまく着替えられず、手伝ってもらってなんとか準備完了。
仰向けに寝ると、なんだかめちゃくちゃ痛い。
痛くて勝手に涙が出てくる。
そうこうしているうちに分娩室移動しましょうと言われる。
時計してなかったので正確な時間は覚えていないけど、多分陣痛室には1時間もいなかったと思う。
それで分娩室に入って内診してもらうと、既に全開。
進みが早い!と助産師さんもびっくり。
自分も何がなんだかわからなく、でもこんなに痛いのが何時間も続くのか!?とげんなりしていたので、早く終わりそうだというのにちょっとうれしくなる。
何度かいきんでもあんまり進まないので、横向きになっていきめと言われる。
もう力を入れるたびに指先に力が入りすぎて感覚がなくなり、しまいには腕がふるえてとまらない。
胎児に酸素がいきわたっていないからと酸素マスクされるも、今度は息を吸い過ぎて過呼吸になる。
そこからは痛いよりも息が苦しく死にそうで、たとえるなら長い下り坂のマラソンをしている感じ。
そんなことを考えていたら、やばい、お昼炭水化物食べてないじゃん!
マラソンには炭水化物が必須なのに乗り切れん、これはマラソンに通ずる持久力だなんて思いがわいてくる。
そんなこんなしているうちに破水して、それでもあと一息というところまで進まなくて、しばらく静かな時間が流れたと思ったら、痛みが弱いので薬使いましょうと言われ、思わず「え?!薬使うんですか??!!」と言ってしまった。
促進剤の恐ろしさを色々な人に聞いていたので。
でもそこから勢いがついて、どんだけ痛いのかと思ったら、むしろ後押ししてくれたくらいな感じで、全開から30分の17:01に産声を聞くことが出来ました。
出てきたわが子を見て、みんなの第一声「大きい!」。
はかると3880gもあり、そりゃデカいわ。
胸に乗せてもらって初対面、ようこそと声をかける。
今振り返ると痛みよりも息が上手くできなかった苦しさのほうが、はるかにつらかった。
出てきたわが子がビッグベビーだったこともあるかもしれないけれど、最後はお腹の上を思い切り押されて出てきました。
結局病院ついてから2時間半くらいで出てきたので、安産だったねと色々な人に言われるけれど、助産師さんからは経産婦並の進みで、あれはあれで体がついていかなくて大変だと言われた。
その通りに本当に大変だった。
計測を終えて産着を着せられた子供差し出されても、腕がしびれて感覚が無く、しかも震えまくっていて抱けなかったので、最初の抱っこは主人。
横になったまま顔を眺めると、かわいいというよりは面白い顔をしているというのが第一印象。
しばらくそのまま分娩台で休んだ後、部屋に移動。
テーブルに晩御飯が用意されていて、やっとご飯だと完食。
面会時間が20時までなので、そこで主人帰る。
着替えたくても疲れすぎて体が動かず、変な形でベッドに倒れこんでいたら、見回りにきた看護師さんに大丈夫ですか?着替え手伝いましょうかと声かけられるも、疲れすぎて動けないので、しばらくこのままでいます、夜中もこのままかもしれないけど大丈夫ですというと、また見に来ますねと言われる。
ぼんやりと、あー、日本時間の真夜中にパリについて、やっとこさホテルの部屋のドアを開けたあとの疲労感に似ているなぁと思った、それくらい眠かった。
結局夜中にごそごそ起きて、顔を洗って、なんとか着替える。
翌日は朝10:00から授乳だったけど、体が痛すぎて起き上がることが出来ず、授乳はその翌日からにしてもらい、食事も朝、昼と部屋に運んでもらった。
部屋からは夕方まで一歩も出られず、結局我が子を初めて抱いたので、うまれてから24時間以上経った、翌日の19:00でした。
翌日からの3時間おきの授乳は、授乳室で。
同じ日に出産した人があと二人いたけど、1日早く授乳をしているので勿論私より上手。
傷が痛いのもあってなかなかうまくできず。
沐浴は見学のみで、実践は家に帰ってからぶっつけ本番という怖さ。(3人子供がいる姉の指導で、どうにかなりましたが。。)
更に結局病院が混んできたという理由で、一日早く退院するはめとなるというオチつきでした。