あの人の、誰かのために
何かをするということは
もちろん悪いことではないけれど
一概に良い!とばかりは言えないなぁと。
もう一歩踏み込んで
それは、なんのために?
自分の思いがどこから来ているのか
少し突き放して冷静に見つめることが
とても大事だと思うのです。
あの人のためにじゃなくて
よくよく突き詰めていくと
自分のためだったな〜でも
そもそも良いも悪いもないんだし、
別にどうでもいいんだけれど。
ただ、ひとつ注意したほうがいいことは。
じゃあ、どう'ためになる'のさ?
まさにココこそが大事!
なんですよねぇ。
だって、いずれにしろ
どんなにキレイゴトを言っていても
根っこの部分では恐れや不安などを
誤魔化すため、だったら
ちょっと、かなり、残念な気がしません?
☆
あの人のためにじゃなくて
私のためだったのね〜と、
虚飾を引っぺがしてスッキリ
はい、終了!にはせず、
せっかくだから、もうちょっと先まで。
突っ込んでみて見えてくるモノを
そして思いいたった経緯も含めて
ぜんぶ大切にして
自分自身をひも解いていく
もしかしたら、
繰り返しこうしていくことそのものが
めぐりめぐって自然と'自分のため'であり
'あの人のため'にもなっていくのかもしれません。
・・・とここまで打って、
「〜のために」ってつまりは
思考停止ワードだったのね〜(⌒-⌒; )
とようやく思い至りました(笑)