「ユダは裏切りの代名詞」
ユダはイエスの側近で、会計係でした。
でも、闇に負けた。
ある時、ラザロの兄弟であるマリアがイエスの足に香油を塗り始めました。
香油は純粋なナルドで、現代で言えばシャネルの5番のようなものだそうです。
安価なものではありません。
ユダは、香油は売るべきでは?と問います。貧しい人に施せると。
しかし、イエスはユダを叱責します。
貧しい人々はいつもあなた方と一緒にいる
しかし、私は違うと。
ここから、ユダはイエスに従うか再考したのかもしれません。
マリアがイエスに香油を塗るのには意味がありました。
マリアがイエスをメシアと信じていたから。
また、イエスの生前から葬りの準備をしていたからと考えられます。
彼の死を予感していたのかもしれません。
過越祭の時期になり、イエスはエルサレムに向かいます。
弟子たちは、驚きます。命を追われているのに、エルサレムに行くのは危険すぎるからです。
教えを広めるにはエルサレムしかない。
一世紀のエルサレムはローマ帝国に支配され、ユダヤ人は抑圧から救ってくれる神を求めていました。
イエスは、ロバに乗ってエルサレムに入り、王を自称します。
ユダヤ人の体制側とローマ帝国の権力者の両方を刺激します。
ユダヤ教では、神殿での祈りが重視されていました。
神殿に近づけば、神に近付くことにもなります。
しかし、ユダヤ教実践の要は、いけにえとして動物を捧げることでした。
両替の台(ローマの貨幣→ユダヤの貨幣)、動物を売る者、祭司たちが小銭稼ぎに集まっていました。
イエスは怒ります。神聖な地で汚れた行為であると。
大騒動を起こしました。
この時、ユダは「イエスは従うべき者なのか」自問します。
そして、幻滅します。
カイアファは、イエスの暴動が反乱に発展することを懸念していました。
ユダは大祭司カイアファに会いに行き、イエスを止めようとします。
密約を交わし、大金を手に入れます。
このことが、重大なことになるとはユダも思っていなかったと考えられます。
イエスの最後の晩餐は、過越祭を祝う席でした。有名な絵画がありますね。
そこにユダもいました。ユダは左から3番目の手前にいる人です。
ユダの右手には、裏切りで得た金貨30枚が入った袋があるようです。
食事中にイエスは言います。
「あなた方と過越の食事をしたかった。苦しみを受ける前に。
神の国が成就するまで、私は食べない。」
また、パンを「自分の体」、葡萄酒を「自分の血」として弟子たちに与え、
「これをわたしの記念として行え」と命じたと言われています。
イエスが死の話を始め、弟子たちは戸惑います。
晩餐はさらに重苦しくなり、裏切り者が一人いると言います。
ユダが裏切ろうとしていることが分かっていました。
裏切り者について「わたしがパン切れをワインに浸して与える者です」と言います。
ユダは後ろの2人の話に気を取られ、イエス・キリストが取ろうとしているパンと同じものに手を伸ばしています。
そして、ユダに「やろうとしていることを今すぐしなさい。」と言いました。
最後の晩餐の後、イエスは弟子を連れ、エルサレムの城壁の外へ。
ゲツセマネの園(オリーブの木が生える地)でイエスがよく祈っていたとユダは知っています。
イエスは死にたくありませんが、神である父の意思を尊重します。
カイアファ達は、イエス逮捕へと向かいます。
弟子のペテロはカイアファとユダが一緒にいることで状況を理解し、裏切りを悟ります。
ペテロはマルコス(ユダヤの兵)に切りかかりますが、イエスは非暴力を貫きます。
そして、傷ついたマルコスの耳を治します。自分を捕えようとする者までにも慈愛の心を持ちました。
そして、イエスはカイアファと顔を合わせます。
エルサレムの有力者も集め、イエスを裁くための会議が行われました。
イエスは自分が神の右に座ると証言します。
神と同じ権威を持つと。
これは、神への冒涜としてユダヤ教で死罪に値します。
罪のないイエスに対して、この判決に反対の者もいましたが、プレッシャーに負け言い出せません。
死刑となります。
ユダはここまでの事になるとは思っていなかったかもしれません。
彼はこの後、自殺します。
今回はここまでです。
ずっとあらすじを綴るばかりになってしまいました。
この辺りはあまり知りませんでした。最後の晩餐の絵はもちろん知っていましたが、こういった裏切りがあったのですね。
ユダは、自分の正義で行動したのかもしれませんが、所詮人間の判断ですよね。
これは神様が喜ばれることなのか、という考えはなかったかもしれませんね。
しかし、必要なことだったとも言えます。
何が正しいか。神様の声は聞こえませんが、この情報社会で自分の中できちんともっておきたいですよね。
周りの雰囲気に流されず。当時は、カイアファに反対すると殺される可能性もあったかもしれませんが、現代ではそんなことはありませんよね。それを思うと少し強くなれるかも。
最近は、武田邦彦さんの「正しい」とは何か?という本を読んでいます。
まだ途中なのですが、国と時代によって正義は異なるということが書かれていました。1番わかりやすいのは、原爆ですね。
アメリカにとっては、正義であった。民間人を大虐殺することも正義だった。
それを受け入れてはいけないなと感じます。自国のことをしっかり学ぶことが、自分が判断する正しさの基準が見えてくるのではないかなと思います。